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2007年4月20日 (金)

東金の「小野小町塚」を訪ねて

九十九里町の別宅「史想庵」からの帰りの途中、東金市小野にある「小町塚」を訪ねました。

東金市小野の「千葉県テクノグリーンパーク」内の道沿いに最近整備された「小町公園」があり、ここに小野小町の邸があったといわれています。このことについて、東金市史編集委員長の柴田武雄氏は、『房総の伝説』の中で、

<小野小町は平安六歌仙のひとりで有名な歌人であるが、伝説的な存在でその正体はつかみにくい。彼女は、小野篁(たかむら)の孫にあたり、父は出羽国出羽郡司小野良実であるという説と、小野宰相と呼ばれた藤原常嗣の娘であるという説など、いろいろ伝えられているが、別説では、小野小町なる名は特定の個人名ではなく、いわば美人をあらわす普通名詞的ないいかたであって、だから同名の女性はたくさんいたのだともいわれている。>

と記しています。また、『国史大辞典』(吉川弘文堂)の小野小町の項には、

<生没年不詳。平安時代前期(仁明・文徳・清和天皇の頃)の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女、篁(たかむら)の孫、美材(よしき)・好古(よしふる)らの従妹(『小野氏系図』)、あるいは良真は良実に作り、また一説には当澄・常澄・正澄ともいい、その他諸説が多いが、いずれも確定しがたい。小町の名は「古今和歌集」の中の三条町・三国町の二女性と同様、宮中の局町に住む女房、姉の小野町(ただしこの称呼の事実はない)に対し妹のゆえに小町と称したともいい、あるいは出羽郡司の女であるとするところから、小町は采女(うねめ)の総称で固有名詞ではなく、複数の小町がいたとする説もあり、よって小町の生誕や終焉の地も、全国的に散在している。『古今和歌集』『後撰和歌集』に小町の姉や小町の孫の名が見え、親族のあることがわかるが閲歴は未詳である。しかもすぐれた歌人であり美人であり、不幸な生涯を終えたと推定されるところから、平安時代末期以来幾多の伝説が付会された。>

とあり、小町の存在については様々な説があるが、美人のほまれが高い歌人として、伝説の世界で最も人気のある女性の一人であるという。

さて、東金市の「小町公園」内にある石碑(高さ109cm、横130cm)には、

<此の地は、小野・小町山と謂れ、平安の昔六歌仙のなかで唯一の女流歌人として数えあげられた小野小町縁の場所である。王朝女流和歌のなかにみられる

 花のいろは うつりにけりないたずらに 我が身上にふる ながめせしまに

の歌の如く女の身に処しがたい命を詠んだ小町は、我が国の女流歌人の先駆者であった。>

と刻まれ、この石碑の左側に「小町塚」の石(高さ86cm、横最大110cm)があります。また、かってこの山には桜樹が多く、その桜樹の中に「小町の邸」があり、その一角に小町が使っていた機織りの道具「オサ」が埋まっているといわれています。

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