無料ブログはココログ

« 千葉・御茶屋御殿、再び | トップページ | 袖ヶ浦・岩井東照宮(国勝神社境内) »

2007年9月 1日 (土)

茂原・粟生野東照宮(錦織倖栄氏宅内、東照権現社)

享保20年(1735)11月の「東照権現祠建立願書」(茂原市粟生野、森川隆家文書)に、

<上総国山辺郡粟生野村本田之内、慶長年中、源家康公様、同国一ノ宮より東金へ御往行御旅立之砌、御昼食し候御場所、牛馬糞土の穢れ有りの候にて、勿体なく、小祠建立有之候。然る所、今般再建したい旨、別紙連印の者共、挙って頼みに付き、御検分の上、御沙汰の程、偏に願い上げ奉り候。>

とあり、地元の人たちが東照宮の再建を申し出ました。同年12月の「大岡越前守検分許可書」には、

<継紙を以て申し渡し候。上総国長柄郡粟生野村本田の内、東照神君様、慶長年中、当所御往行の砌、御休所の旧跡等、具(つぶさ)に検分致し、然所、小社之れ有り、再建願いの儀、随分不苦、大社の儀は相成らず候。尤も、其の沙汰に及ぶもの也。>

とあり、大社は認められないが、小社の再建が認められました。

この小祠は、村人によって字本田に建てられ、「権現堂」と称したといいます。その敷地は10坪ほどで、ここに1間四方の小祠がありました。

明治以降、この祠は、錦織氏が譲り受け、昭和50年頃、老朽化したため、御神体を同家の床の間に移して取り壊されました。その後、同58年に錦織倖栄氏は、宅内の一角(権現堂跡地)に東照宮の石祠(高さ91cm)を再建しました。

« 千葉・御茶屋御殿、再び | トップページ | 袖ヶ浦・岩井東照宮(国勝神社境内) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/205445/16309499

この記事へのトラックバック一覧です: 茂原・粟生野東照宮(錦織倖栄氏宅内、東照権現社):

« 千葉・御茶屋御殿、再び | トップページ | 袖ヶ浦・岩井東照宮(国勝神社境内) »

最近のトラックバック

2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31