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2007年12月14日 (金)

竹久夢二と「宵待草」のヒロイン、長谷川カタの出会いの場、海鹿島を訪ねて

12月12日に銚子の海鹿島に調査に出掛けました。竹久夢二と「宵待草」のヒロイン、長谷川カタが出会い、語り合った場所の現状を知るためです。

九十九里町は晴れたり、曇ったりでしたが、銚子が近くなると、快晴で、暖かになりました。銚子市の、かっての有料道路を進むと、右手には雄大な太平洋を眺めることが出来ます。実にすっきりしており、きれいです。

車が犬吠埼灯台脇をひた走り、君ヶ浜に出ました。海は穏やかにして、快晴。車の中は暑いぐらいです。

右手の海鹿島海水浴場を見ながら進むと、左側に「伊勢大神宮」があり、その脇に車を止めて、周辺部の調査を行いました。この附近を「字宮下」といいます。

海鹿島は、かって海岸の小岩のところに多くのアシカがいたことから、この名が付いたといわれていますが、正確には「伊勢地浦(伊勢路ヶ浦)」といいます。

伊勢大神宮については、元禄8年(1695)9月に濃口醤油の醸造を本格的に始めた田中玄蕃がこの地に湊を築き、納屋や干鰯場を設けましたが、このとき、玄蕃は、湊の工事を始めるに当たり、伊勢地の名にちなんで伊勢神宮を勧請して祀り、毎年9月9日を祭日に定めました。2度目の工事のとき、大神宮の祠を現在地に移し、新宮と旧宮を合わせた祀ったのが起こりであるということです。

小高い丘の上にある伊勢大神宮を、道路脇の細い階段状の坂道を登ります。平成13年6月建立の鳥居をくぐり、丘上を目指しました。登り切ったところに狛犬があり、その奥に石造りの本殿(昭和36年3月)があります。本殿がテントで覆われ、また、ここで火遊びをする人がいるようで、監視カメラが設置・作動しているのが異様でした。

大神宮を下り、「字宮下」にある「ちばこうバス『海鹿島』バス停」の左側に外川さん宅、その海岸寄りにトラック会社の駐車場があります。この外川さん宅の一帯が、かってカタの父母が住んでいた長谷川宅です。その敷地は、約200坪で、ここに木造瓦葺きの平屋が建っていました。内部は、別荘風で、間切りが少なく、30坪に満たなかったようです。現在お住まいの外川さんによると、家屋は30数年前に取り壊したといいます。

通り掛かった人から、「夢二のおめかけさんが住んでいた」との話を聞き、現地の人たちは、カタを「夢二のおめかけ」と捉えていたようです。

この旧長谷川宅の隣(海岸寄り)に、かって夢二が滞在した民宿のような「宮下旅館」がありました。のちに売却され、「天満屋」という料理屋になったといいます。現在は、コンクリートが敷き詰められ、駐車場になっていますが、敷地内の海岸寄りに古そうな石塔があり、これが宮下旅館の名残りかと思われます。

ここから海を見ますと、前が海水浴場で、右手に夢二とカタが登り、語り合った丸山(鉄炮台)があります。むかし、この海の付近にアシカがおり、村人がこの丸山から鉄炮で撃ったということから、「鉄炮台」と云われるようになったといいます。この丸山の頂上からは、広い太平洋と海鹿島の集落が一望できます。反対側には、犬吠埼灯台とその下に、夢二とカタが散歩した、白妙が続く「君ヶ浜」海岸が見え、絶景の地です。

この附近を、夢二とカタが人目を避けて、手を取りながら歩いていたのだ、との思いに馳せながら、海鹿島の地を後にしました。

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