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2008年7月18日 (金)

高村光太郎と智恵子=その愛の軌跡を追って(九十九里町編)その5.光太郎がほぼ毎週通った真亀納屋

P1010047 昭和25年(1950)6月の「自然と芸術」の対談で、光太郎は、

<商人には商人の妻、百姓には百姓の妻、僕には智恵子が一番ありがたかった。その気持ちを込めて、智恵子の顔と体を持った観音像を一ぺんこしらえてみたいと思っています。仏教的信仰がないからおがむものではないが、美と道徳の寓話として扱うつもりです。ほとんどは裸の原始的な観音像になるでしょう。出来上がったら、あれの死んだ片貝の町(九十九里町)に置きたいと考えています。>

と語り、光太郎はいずれ智恵子に似た観音像を彫り、智恵子が療養した地、片貝、正確には真亀納屋に建てようと考えていたようである。

しかし、この光太郎の願いは実現せず、28年(1953)に青森県から依頼され、十和田湖畔に建てられた智恵子の裸婦像という「乙女の像」が最後の作品となった。

昭和9年(1934)5月7日から12月20日までの8ヶ月余り、智恵子は真亀納屋の「田村別荘」で療養した。光太郎は、ほぼ毎週、土曜日の朝、智恵子の薬や好物のお菓子や果物を入れた重いリュックを背負い、両国駅から大網駅まで汽車に乗り、大網駅からバスで白里海岸(南今泉)経由で、午後2,3時に真亀納屋の智恵子の元に着いた。そして、すぐに智恵子を誘い、九十九里浜に散歩に出掛けた。

風にのる智恵子

狂った智恵子は口をきかないP1010051

ただ尾長や千鳥と相図する

防風林の丘つづき

いちめんの松の花粉は黄いろく流れ

五月晴の風に九十九里の浜はけむる

智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ

白い砂には松露がある

わたしは松露をひろひながら

ゆつくり智恵子のあとをおふ

尾長や千鳥が智恵子の友だち

もう人間であることをやめた智恵子に

恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の散歩場

智恵子飛ぶ

光太郎は、真亀納屋に印象について、5月9日に智恵子宛に送った『はがき』に、

<真亀といふところが、大変よいところなので安心しました。何といふ美しい松林でせう。あの松の間から来るきれいな空気を吸うと、どんな病気でもなほつてしまひませう。そして、おいしい新しい食物、よくたべて、よく休んでください。知恵さん、知恵さん。>

とある。

さて、光太郎は、白里海岸の近くの南今泉で片貝方面行きのバスに乗り換え、県道一宮片貝線を通って真亀川に架かる真亀橋を渡り、すぐの「真亀納屋」バス停留所で降りた。

九十九里浜では、内陸から最も早く出来た集落の親村を「岡」、その後に出来た浜寄り(この地方では海のことを「浜」という)の集落の子村を「新田」、漁業のための浜に近い集落の孫村を「納屋」という。

P1010045 右手に進む細い道があり、この道を行くと間もなく正面に松林があり、この中に「田村別荘」があつた(現在はテニスコート場となり、この中央部辺りにあった)。バス停から別荘までは5分足らずである。

この別荘で、智恵子は首を長くして光太郎を待ったことであろう。

すぐに光太郎は、智恵子を連れて九十九里浜の砂丘づたいに松林の中を歩き、高めの砂地に腰を降ろすのが常であり、その後、別荘に戻り、一晩中、智恵子の看護に当たり、翌日の夕方、智恵子の身体を案じながら、智恵子に知られないようにしてここを立ち、夜に東京に戻った。

地元の人たちは、光太郎や智恵子が来ていることは知らなかったようで、「見慣れない、風変わりな人が浜をフラフラしていた」とか、「わたしは小さかったけど、そういえば、おかっぱ頭のおかしな女の人がいたなあ」としか映らなかったようである。

写真上は真亀納屋バス停附近。右手前に小径があり、これを進むと「田村別荘」がある。

写真下は、右手の松林の中に田村別荘があった。現在、テニスコート場。

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