無料ブログはココログ

« 東金市山田の貴船神社を訪ねて | トップページ | 九十九里町の関東地方甘藷栽培発祥の地碑 »

2008年8月16日 (土)

九十九里町の溺鬼(でっき)供養塔碑

P1010137_2 九十九里町片貝北ノ下に天保13年(1842)7月建立の「溺鬼供養塔碑」(高さ240cm、幅137.5cm)があります。

県道122号(飯岡片貝線)沿いにあり、小さな池に太鼓橋が架かり、その先に地元では「地蔵尊」と呼ばれていますが、正確には「祖師像(日蓮像)」で、東方を向いていて朝日を拝していることから、「旭の祖師像」ともいいます。

この祖師像の裏手に「溺鬼供養塔碑」があり、

<正面>      八大龍王

       南無妙法蓮華経

            四天大王

とあり、裏面には江戸の儒者、亀田綾瀬(りょうい)の撰文による「溺鬼供養塔之記」(漢文)が刻まれています。その読み下し文は次の通りです。

<(前略)(九十九里浜)海岸一帯は、見渡す限り広々としていて、遮るものは何一つなく、眺望は果てしない。荒れ狂い、逆巻く波が終始海辺をたたく。殊に秋の台風による高潮や地震による津波がいつも襲ってくる。一度海が荒れると、山のような大波がものすごい音を立てて海岸に突き当たって砕ける。

そのため、海岸一帯は、一瞬にして青い海原と変わり、一軒の家も残らず大波に浚われてなくなってしまい、人はもとより、馬や牛などの家畜までも一頭も余さずに死に絶えてしまう。

そこで、死者の魂はやみ夜に泣き彷徨い、溺れて死んだ人の霊魂は真昼でさえも泣き叫んでいるように感じられる。(中略)

この度、顕栄師(江戸浅草の慶印寺住職)は、村人たちに供養の方法を指図して慰霊の石塔を海岸に建てることで、海難者の霊を慰め、鎮めさせることにした。(以下略)

とあり、この供養塔碑は、溺死者の霊を慰め、海辺の村人の生活の平安を願うために建立したといいます。 

« 東金市山田の貴船神社を訪ねて | トップページ | 九十九里町の関東地方甘藷栽培発祥の地碑 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/205445/42184503

この記事へのトラックバック一覧です: 九十九里町の溺鬼(でっき)供養塔碑:

« 東金市山田の貴船神社を訪ねて | トップページ | 九十九里町の関東地方甘藷栽培発祥の地碑 »

最近のトラックバック

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31