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2009年4月25日 (土)

九十九里町の元禄津波慰霊碑

Photo 九十九里町の豊海県道(県道東金豊海線)沿いに「元禄津波慰霊碑」があります。

平成20年8月に不動堂丘自治会区と同納屋自治会区が慰霊碑周辺を整備し、「記録碑」を建立しました。この記録碑(要約)によると、

<元禄16年(1703)11月23日深夜子の刻に房総半島沖を震源とする震度8.6の地震が起こり、千葉・神奈川・東京・静岡の太平洋岸に3度にわたり津波が押し寄せ、流失家屋2万6千戸以上、死者1万人以上であった。中でも九十九里浜が最も悲惨な被害を受け、津波は高い所で10m、水死者が2386人であった。>

と刻まれています。

Photo_2 津波供養塔には、

(正面)元禄十六年十一月二十三日

    妙法津波精霊

とあり、30名の名が刻まれています。

また、年代不詳の『飯高家文書』には、

<元禄十六未年十一月二十二日夜子の刻(0時~2時)より、俄に大震にてゆりかえしゆりかえし表にて大たいこ打ち候如くになりひびきく、同丑の刻(2時~4時)に大山の如くなる津波二、三の浪続いて入り来る、別に二の浪つよくして、家□木共に押し流され、大木は土手共に二、三丁程も流れ、逃れる人々之うちにても浪に追いつかれ、水に溺れ死すもの脇村は格別、当所にて百人余也。>

とあり、「当所にて百人余」の死者があったといい、その悲惨な様子が記されています。

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