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2009年6月21日 (日)

いずみ郷土史会の大多喜方面巡り(4)良玄寺

Photo 大多喜城主本多忠勝は、文禄4年(1595)に菩提寺として城下の新町(新丁)に良信寺を建立した。開山には下総小金の東漸寺の了学上人を招きました。

Photo_2 その後、3代政朝が元和元年(1615)に2代忠朝の法号を以て、良玄寺と改めました。本堂の西側には「忠勝公園」が整備され、その奥に本多忠勝・同夫人・忠朝の墓がありました。

Photo_3 本多忠勝は、幼名を鍋之助といい、通称平八郎といいます。永禄3年(1560)の大高城に向かう家康に従ったのが初陣で、その後、生涯に戦場を往来すること、50数度。勇悍(ゆうかん)を謳われて四天王の一人でした。

一向一揆の鎮圧に槍の功名をはせ、永禄9年(1566)に騎馬の士50余を付けられ、12年(1569)6月に榊原(さかきばら)康政と遠江天方城を攻め取り、のちに1手の将に進みました。

Photo_5 小牧の戦いでは僅か300騎をもって長久手に向かわんとする秀吉軍数万と並走し、進軍を阻止するために戦うなど、秀吉をして「東の本多平八郎、西に立花宗茂あり」と、その眼力を賞され、また、「家康に過ぎたる武将」讃えられました。

天正18年(1590)8月、家康の関東移封のとき、大多喜10万石を領し、関ヶ原の戦いが起こると、井伊直政と共に東軍先鋒の監軍役を務め、慶長6年(1601)に伊勢桑名10万石に転じました。

慶長15年(1610)10月18日に63歳で生涯を閉じました。

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