<郷土史1>旭市の「朝日将軍」木曽義昌の子孫が大分に!
天正18年(1590)に下総国阿知戸(旭市網戸)一万石に入封した木曽義昌は、新田開発・用水路の設置・城下町づくり・税の減免などの徳政を行い、その後、嫡子義利に引き継がれた。
しかし、この義利は、短気で、我が儘に育ったといい、叔父の義豊を殺害したことが原因で、慶長5年(1600)に改易となった。その後の義利は、行方不明になったというが、流浪して長崎県壱岐島を経由して平戸の地に至り、「井元」に姓(弥七左衛門)を改め、当時の平戸藩主松浦氏より大島村の政務役に任じられたということが解った。そして、その子孫が大分市に住んでいるという。
このことが、史実かどうかを文献により調べている。その略系図は次の通りである。
義利(井元祖、弥七左衛門、大島政務役)-義陽(弥兵衛、大島政務役)ー義信(弥七左衛門、大島政務役、鯨組を興す)-義定(弥七郎)ー定治(甚太郎、順養子、弥七左衛門)-定則(虎之丞、義定の嫡子、弥七左衛門)-定正(傳十郎、義定の弟、順養子)ー義睦(長太郎)-義愷(傳十郎)-義庫(傳十郎)
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