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東京都

2013年5月19日 (日)

東京浅草の三社祭

Photo千葉寺にある大塚電気の日立フェアー見学ツアーに参加し、浅草の三社祭を見学しました。

Photo_210時30分前に千葉寺を出発し、1時間余でフェアーの会場へ。ここで電化製品を見学。当家ではいずれテレビ・冷蔵庫などを購入する予定があり、最新の電化製品を下見。それぞれに目を付ける。

Photo_3その後、17日~19日の「浅草三社祭」を見学。この三社のいわれについて、パンフレットには、

<浅草寺縁起によると、今から千三百九十年程の昔、隅田川で漁労に精を出していた檜前(ひのくま)浜成(はまなり)・竹成(たけなり)の二兄弟が漁網の中から一像を持ち帰り、土地の文化人である土師(はじ)真仲知(まつち)に一見を請うた処、土師はこれは尊い聖観音像であり、自分も帰依する所の深い仏像であると、二人の者にその功徳を淳々と説き、自邸に堂舎を構えて寺とし、三人共々厚く聖観音像をお祀りするようになったという。>

とあり、これが浅草寺の起源であり、後世この三人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称を奉られ、祭祀されるようになったという。

Photo_4それにしても、久しぶりに浅草見物をしたが、祭りということもあろうが、人の実に多いこと。仲見世通りは通りいっぱいに人が歩く。そこを御輿が通ると、人が左右に押し出される始末。前へ進むことが出来ず、後ろへも。

Photo_5人通りの多い仲見世通りを抜け、大通りに出た。すると前方に、今話題にスカイツリーが姿を現す。

人の多さに疲れたが、楽しい一日となった。

大塚電気の皆さん、ありがとうございました。

2011年8月26日 (金)

寛永寺を訪ねて(4)由緒(その3)徳川家墓所

P1010624寛永寺は徳川将軍家の祈祷寺として発足したが、やがて菩提寺も兼ねるようになり、将軍の霊廟が造営された。

P1010625当山には6名の将軍の霊廟がある(非公開)。

・4代家綱

・5代綱吉

・8代吉宗

・10代家治

・11代家斉

・13代家定

Photo将軍だけではなく、天璋院篤姫の墓所もある(非公開)。その説明板には次のように書かれていた。

天璋院篤姫は天保6年(1835)12月19日、薩摩藩今和泉島津家島津忠剛(ただたけ)の長女としt今和泉島津家本邸(現在の鹿児島県指宿市)にて生を受けました。幼名一子(かつこ)・於一(おかつ)

嘉永6年(1853)、島津本家28代当主島津斉彬(なりあきら)の養女となり、名を篤姫と改めて鶴丸(鹿児島)城に入り、また同年中に鹿児島を出立し京都の近衛家に参殿ののち江戸城下、芝の藩邸に入っています。

その後、安政3年(1856)に近衛家の養女となり、名を敬子(すみこ)と改め、同年に徳川13代将軍家定(いえさだ)公の正室として輿入れしました。(以下略)

2011年8月25日 (木)

寛永寺を訪ねて(3)由緒(その2)

Photo_4寛永寺の境内には、4代将軍家綱の御霊廟の梵鐘、当山中興の学僧・慈海僧正の墓、わが国最初の講義を伴う公開図書勘、「勧学寮」を設立した名僧・了翁禅師の塔碑や座像、虫塚などがある。

Photo_5

当初、寺領二千百石、寺域17万坪ほどで、8代将軍吉宗の時代には堂塔伽藍30余棟、子院36坊、境内地30万5000坪余で、文字通り日本を代表する大寺院であった。

2011年8月24日 (水)

寛永寺を訪ねて(2)由緒(その1)

Photo寛永寺は山号を東叡山といい、元和8年(1622)に天海大僧正が徳川2代将軍秀忠と相談し、徳川家の安泰と江戸庶民の平安を祈る道場(祈願寺)として創建が決められた。

その3年後、3代将軍家光の寛永2年(1625)10月に正式に創建された。

Photo_3
山号の東叡山とは東の比叡山の意味で、寺号の寛永寺とは勅許を得て延暦という年号を寺号としたのと同様に、寛永の年号を用いた。また、その後の造営も比叡山延暦寺に倣(なら)って行われた。

元禄11年(1698)に建立された根本中堂は、慶応4年(1868)に彰義隊の戦争の際に焼失。現在のものは、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂(寛永15年に家光が建立)を山内子院の大慈院(寛永寺)の地に移築し、彰義隊の戦争で焼失を免れた寛永寺の本地堂の用材を加え、再建された。

2011年8月22日 (月)

寛永寺を訪ねて(1)スカイツリー

Photo


東京国立博物館脇から寛永寺に向かいました。

歩くこと約20分。徳川家の墓地に入口。右手を見ると、今話題のスカイツリーが見えました。

あまりにもはっきり見えたので、カメラにおさめました。

2011年8月19日 (金)

孫文と梅屋庄吉の特別展へ

Photo


東京国立博物館で「孫文と梅屋庄吉」の特別展が開かれているということで観に出かけた。

「本邦初公開写真がずらり!」ということで大いに期待して出かけた。

Photo_2


確かに北京城の写真、孫文と梅屋庄吉の関係写真、幕末・明治の日本の写真、そして広東・香港・南京などの近代中国の写真など、実に多くの写真や資料が展示されており、大いに勉強になった。

しかし、私にはもう一つ目的があった。それは庄吉が晩年に千葉・長者町で過ごした様子である。このことについては、一枚の写真や資料もない。そして、『図録』にも書かれていない。

今年、最高の気温の中で出かけた特別展。私にとっては期待外れであった。

2010年4月22日 (木)

上野公園の桜見物(その2)

Photo_5 一面の咲きほころぶ(といっても満開が過ぎていますが・・・)花道を通り、まずは東照宮へ。

Photo_8遠くからは分かりませんでしたが、現在、Photo_9 改装工事が行われ、近づくと大きな布の建物がコピー。

久しぶりに参拝しようと思って行ったが、残念!

平成15年ころまで掛かるといいます。

家内安全のお札を買って、早々に退散しました。

2010年4月21日 (水)

上野公園の桜見物(その1)

Photo 4月10日に上野公園に桜見物に出掛けました。

Photo_3  午前中というのに、人出が多く、流石、東京の上野公園という感じ。

Photo_4 もう桜の木の下で宴会を始めているグループがありました。

2009年6月26日 (金)

国立公文書館へ

Photo_2 文献資料を求めて、国立公文書館へ行って来ました。

何しろ、この公文書館には資料が多いため、ここへ行ってゼロから調べますと、時間が掛かりすぎ、すぐに必要な資料が見つかりません。そこで、必要な資料を事前にインターネットで調べ、その資料を確認しながらコピーするために出掛けた訳です。

Photo_3 事前に申し込み用紙などに必要事項を記載して行ったため、スムーズに資料に当たることができ、短時間でコピーすることが出来ました。

それにしてもコピー1枚が30円とは実に高い。千葉県文書館や図書館では1枚10円です。30円という根拠は何かとの疑問を持ちながらも、次々にコピー。

Photo_4 早めに資料が手に入ったので、公文書館前付近の皇居周辺をフラフラ。まず乾門へ。結構、出入りする人が多いようで、門から車が出たり入ったり。

Photo_8次ぎに北桔橋(きたはねばし)門へ。実に眺めがいい。そして、竹橋を渡り平川門へ。皇居の景観を楽しみながら、ゆっくりと歩いたり、立ち止まったり。

何か、公文書館で調べ物をしていた時間よりも、皇居周辺をフラフラしていた時間の方が長かったかも知れません。

2008年3月20日 (木)

史料調査に東京都公文書館と国立公文書館へ。

明治9年6月15日の「御指令」の「東京府権知事楠本正隆」が回答した文書の中に、「別紙四手井佐太郎外十九名之者」とあり、この「別紙」を求めて、浜松町にある東京都公文書館へ2時間余をかけて行きました。

玄関を入ると「本日、閲覧停止日」という張り紙が目に入りました。「千葉から2時間余りかけて来たのに」と守衛さんにいうと、「申し訳けありません」と。仕方なく玄関脇の掲示物を見ていると、「何か調べ物ですか?」と声を掛けて頂いた。「『東京市史稿』のこの部分を見せて頂きたく、来ました」というと、私が出した資料を見て、「ちょっとお待ち下さい」と。公の機関は融通が利かないという評判に反して、「閉館中にもかかわらず、調べてみましよう」と。実に親切である。応対して頂いたのは嘱託の方であるという。

しばらく待つと、『東京市史稿』の元本(『明治十年即決簿』)を持って来て頂き、閲覧室に通され、いろいろと調べて頂く。休館日にもかかわらず、職員の方々も書庫から度々関係資料を持って来て頂き、さらには担当の方も来て、調べて頂いた。結局、目的の「別紙」は、原本から抜けているこたが分かったが、このことよりも、こうして実に丁寧に対応して頂いた東京都公文書館の職員の方々にお礼の気持ちで一杯でした。ありがとうございました。

続いて、この「別紙」は、東京府から「内務卿大久保利通内理内務少輔林友幸様」宛に出されているため、わずかな期待を持って、千代田区北の丸公園にある国立公文書館へ。地下鉄東西線の竹橋駅で下車し、皇居の堀沿いを散歩がてらにブラブラ歩き、国立公文書館に到着する。初めての所で、何をどのようにすればいいのか分からず。でも、係の方に事情を話すと、調べ方を教えて頂き、資料の一部を見ることが出来ました。しかし、目的としている「別紙」は見当たらず。所蔵資料がホームページでも見られるということなので、家に帰ってインターネットで検索し、もっとよく調べてから来ようと思い、後ろ髪が引かれる思いで、公文書館を出ました。外は小雨でした。

朝の8時に家を出て、戻ったのが18時過ぎ。久しぶりの東京で、人と移動で草臥れ、目的としたものが無く、空振りに終わりましたが、午前中の東京都公文書館の職員の方々の実に親切な対応に「さわやかさ」を覚え、充実した調査日でした。

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