千葉市緑区東山科町に入植した山科郷士(その1)
明治9年(1876)8月に山科郷士比留田権藤太ら20名が戊辰戦争などの報償として千葉郡平山村・坂尾村・長峯村入会(字中峠野。千葉市緑区東山科町)の31町5反2畝25歩の土地を賜っています。
この山科郷士の活躍、東山科の土地を賜った経過、入植した人々について調べています。
史料としては、東京都公文書館の『東京市史稿』、千葉県文書館の『千葉県報』・『千葉県神社明細帳』と『千葉県史料(近代編)』、法務局の『旧土地台帳』、鏡山次郎氏の『山科「厨子奥」地域・2000年の歩み』・『幕末の山科史』、京都府山科町役場の『京都府山科町誌』があり、これらを手に入れ、目を通しながら、現地調査も繰り返しています。
さらに国立公文書館にも史料があり、先日、調べに行きましたが、不十分で、再度、行く予定にしています。
この東山科町に入った山科郷士は、明治14年(1881)10月に開墾の困難と多額の負債を抱えたため、京都に引き上げています。その後、この地は「御料地(皇宮地所属地)」(宮内省)となり、大正9年(1920)2月に地元などの人々に払い下げられています。
江戸幕府が倒れ、明治新政府の政治が行われますが、その不安定な時期であるため、史料の散失もあり、また、千葉から京都に戻っているため、千葉には史料がほとんどないため、苦労しています。
中でも、東山科の開墾に当たった20名の山科郷士の人名について、いろいろと調べて、関係する機関にも出向いていますが、その史料が見当たりません。後は国立公文書館の史料に望みを託しています。


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