石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、安房に逃れますが、房総の地には「頼朝伝承」が数多く残り、旭市の矢指神社もその一つです。
九十九里浜の伝承について、『いすみの民話さんぽ』を元に見ていきます。
頼朝軍が太東岬にかしかかりました。黒潮洗う浜が青い空の下にどこまでも続いています。
「美しい景色だのう・・・・・」
「いったい、この浜辺はどのくらい続いているのか?」
と頼朝が家来に一人に問うと、
「は、はい。いまだ誰も計ったことがありま
せんので、いかほどの道のりかは分かりかねます」
と。この答えに頼朝は、
「わからぬのか。このような美しい浜が・・・・・。それではわしが計ることにしよう」
「殿、地の果てが見えぬこの浜を、どのようにしてお計りになられますか?」
「ああ、たやすいことよ。このように計って

いけばいいのだ!」
といい、頼朝は弓矢を取り出しました。
「一里(約600m)ごとに矢を立てていけば、計れるのではないか」。
頼朝は、家来を使い、1里ごとに矢を立てて行きました。
「九十八本目。そして次がいよいよ最後の矢だ」
先に太平洋に突き出た岬(刑部岬)が見える海岸(矢指ヶ浦海岸)に、最後の九十九本目の矢を指しました。そして、頼朝は、
「ここが九十九本目。この浜の名を『九十九里浜』と呼ぶがいい」
といわれました。
この九十九里浜は、南のいすみ市太東岬からこの刑部岬まで約60kmに及ぶ砂浜です。
この海岸から岡の方に200mほど行ったところに「矢指神社」があります。地元の人たちは「ぐんだり様」といい、昭和3年(1928)11月に「氏子中」が建立した石鳥居があり、先には朱色の権現造の本殿があります。
本殿の前には「打瀬若者中」が寄進した二基の石灯籠があり、右手には昭和34年(1959)6月1日建立の「仙元大菩薩」、本殿の裏に「金比羅大神」の石碑が建てられています。本殿から九十九里浜を眺めますと、石鳥居が見え、その先に九十九里浜の白い波が目に入ります。当時は、石鳥居から先一帯が砂浜であったといいます。
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