結城別荘の手前に「大正庵」がある。『住宅地図』には「東京急行(株)大正庵」と記されている。
この大正庵の建物は、大正天皇の生母である柳沢愛子の実家、柳原家より移築されたものであるという(現在は建て直したもの)。
柳原家は、名家の家柄を有する公家で、京都十三名家、藤原北家の日野家の分流といい、明治維新後、伯爵の叙された。
愛子は、明治天皇と皇后美子(はるこ。旧一条美子)との間には子女が生まれず、側室として天皇に仕え、「典侍(ないしのすけ、こんじ)」という高級女官の最上位に位置した。
大正ロマンの三女流歌人の一人、柳原白蓮(明治18年生まれ)は、柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹に当たる。
ちなみに柳原家の屋敷は、現在の元麻布の中国大使館(約3300坪)のところにあった。
孫文が日本に亡命中、保田に隠れ住んでいたという家がある。その家を「結城別荘」といい、『住宅地図』で見ると、「大六1126番地、東京電力健保組合保田荘」で、現在は封鎖されており、中に立ち入ることは出来ない。
この別荘は、もともとは明治末、または大正初期に福岡の鉱山経営者の結城虎五郎が娘の療養のために建てたもので、のちに関東配電(東京電力の前身)の健保組合に保養所となった。
孫文は、明治44年(1911)に辛亥革命(第1革命)が起こり、翌年1月に南京で「中華民国臨時政府」が成立し、「臨時大総統」に就任した。
しかし、孫文らの勢力はひ弱であり、就任2ヶ月後、その地位を清朝の実力者であった袁世凱に譲った。政権を掌握した袁世凱は、孫文らの勢力を圧迫したため、孫文らは再び兵を挙げた(第2革命)が失敗し、同年8月に日本に亡命し、大正5年(1916)までの約3年間を日本で過ごした。
この期間に一時期にこの「結城別荘」で過ごしていたといい、この別荘の奥には鉄格子のはまった部屋があり、ここが孫文が寝泊りした部屋であったという。
この別荘には、蒋介石や東條英機らも訪ねてきたという。
JR保田駅から徒歩で10分、保田小学校の裏山(保田776)に「貸山荘 紫花(しか)山荘」がある。この地は、かって相対性理論のアインシュタインの弟子であり、アララギ派の歌人でもあった石原純(あつし)と美貌の女流歌人原阿佐緒(あさお)が駆け落ちし、ここの新居を建てて暮らしたところである。

新居は、洋風のモダンな建物で、「靉日荘」(阿佐緒は「紫花(しか)山房」と呼んでいた。
この石原と阿佐緒との保田での生活は、大正10年(1921)10月からで、駅の近くにあった旅館「松音楼」に宿泊した。
この二人の関係は、当時、「恋愛事件」としてセンセーショナル的に新聞紙上を賑わせた。
・「歌人原阿佐緒との恋愛で東北大教授を辞職」(東京朝日新聞)
・「病気に堪えずとて辞表を提出 原阿佐緒との経緯が直接の原因」(河北新報)

翌大正11年(1922)5月に保田町本郷776番地の土地を購入し、ここに新居を建て、移り住んだ。
しかし、二人の生活は、日に日にギクシャクしたといわれ、昭和3年(1928)9月25日に阿佐緒は、石原に無断で保田を去り、27日には上野を発って実家の宮床村(宮城県大和町宮床)に帰った。

これが、7年間続いた石原と阿佐緒との保田での生活の終焉であり、かつ別離でもあり、再び顔を合わすことはなかった。

著名な大学教授と歌人として将来が期待された女流歌人とが恋の逃避行をした地は、現在、地元の電気屋が土地を購入し、建物は昭和44年(1969)に取り壊され、新たに貸山荘を建て、その屋根には靉日荘の屋根瓦を使用している。
その屋根瓦が、唯一の名残りである。
この上陸地は「県指定史跡」になり、海岸に向かって「石碑」が建っています。
<源頼朝が、治承四年(1180)八月、相州石橋山の合戦に敗れ、同国土肥郷真鶴崎を小舟で脱出。安房国へ渡航し、上陸した地点については、伝承をもとに数箇所の地名があげられていました。
中でも、安房郡鋸南町竜島と館山市洲崎は代表的な地点として有力視されてきましたが、文学博士大森金五郎氏の研究により、「吾妻鏡」の「八月二十八日、土肥郷真鶴崎より船に乗り、安房国に向い、二十九日、同国平北郡猟島に着く」という記載と、十分な考証から、現在の鋸南町竜島を上陸地点と認定するに至りました。
頼朝上陸当時の安房の国情は、安西・神余(かなまり)・丸・東条・長狭の五氏が、ほぼ国を五分して領国支配をしていましたが、長狭氏を除く四氏が敗戦の将・頼朝を擁立して鎌倉幕府創設の基礎を築きました。なお、四氏に擁立された頼朝と戦った長狭氏は、敗れて滅亡しましたが、鴨川市の一戦場はその古戦場として有名です。>
と記されています。
この石碑の右側にある道路は羽田沖に運ぶ土を載せたダンプカーがひっきりなしに通り、海岸には海水浴場・釣り場として整備され、当時を偲ぶような面影はほとんど残っていませんでした。
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