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街道・道路

2012年4月 4日 (水)

東金御成街道の東金御殿への経路~新絵図の発見

Photo東金御成街道の東金御殿への道筋には、

(1)油井経由説

(2)大豆谷経由説

(3)日吉神社経由説

の3説があり、研究者の間で議論されてきた。

たまたま成田の三里塚牧場記念館を訪れたとき、正面に享保7年(1722)4月の『七牧野図』の中に「御成表道」、「御成裏道」との表記を発見し、(1)の油井経由の道が「御成表道」であることが分かった。

Photo_2今年になって東金市文化係の青木氏が道庭の石橋家文書の『入会地争論絵図』の中から御成街道が(1)油井経由になっていることを発見した。

4月3日に青木氏の案内により石橋家を訪問し、宝永2年(1705)3月29日の『絵図』を見せて頂いた。道名の表記はないが、当時の「佐倉道」(国道409号)が油井の「おあし坂」を通っていることを確認した。

これにより、御成街道は、油井経由が最も有力な説となった。

2008年12月15日 (月)

旧東金街道史跡(4)野呂の旧道

Photo_3 国道126号(東金街道)を進みますと、妙興寺手前で右手に入る旧道があります。昭和23年(1948)に九十九里町真亀の米軍射撃場(キャンプ・カタガイ)に向かう米兵のジープがこの道で横転したのがきっかけで、米軍の指令により直線道(現在の道筋)に改修したといわれています。

Photo_4 旧道には、妙興寺の参道が残り、この参道をしばらく進むと国道126号に出て、その反対側に妙興寺の山門があります。

2008年12月14日 (日)

旧東金街道史跡(3)野呂の道祖神

Photo 国道126号(東金街道)の泉自然公園入口の左側に「野呂の道祖神」があります。小祠の中の石碑(高さ68cm、横22cm、奥行6cm)には、

(正面)道祖神

(右側面)元治元年(1864)正月二十日

と刻まれています。

Photo_2 道祖神は、道陸神、道禄神、道六神などの文字も用いられ、集落の外れや道に辻に建てられていることが多く、そこを通過する人を守るとともに、他地域から入る災厄をもたらす悪霊を防ぐことを目的として祀られていることが多いといいます。

2008年10月24日 (金)

道路元標を訪ねて(1)千葉町道路元標

Photo 大正9年(1920)4月1日施行の『道路法』によると、各市町村に1個ずつ「道路元標」を設置することが義務づけられていました。その設置場所は、府県知事が指定することとされ、ほとんどは市町村役場の前か、市町村を通る主要な道路同士の交差点に設置されました。

この「道路元標」は、大正11年(1922)8月18日施行の『道路元標に関する件』で、細かく規定されていました。様式については、高さが60cm、側面高さ55cm、横25cm、奥行25cmの「石材其の他の耐久性材料を使用すべし」とあります。

千葉市内の「道路元標」の所在については、千葉町の他、千城村・誉田村・更科村・生浜町のものが確認され、幕張町の道路元標は、駅付近にトンネルを造る工事の時に壊され、その後、所在不明になっています。

千葉町の道路元標は、モノレール「県庁前」の駅の下に再建されています(写真)。

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