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思うがままの書き留め

2018年1月14日 (日)

人の親切を噛みしめて!

昨年から書き上げている「木曽義昌」関係の論文は、まとめの段階で大島村の福井竹市氏に「木曽氏系図」と「井元弥七左衛門家系図」があることを知り、それが伊万里市の「松浦党研究連合会」が出している『松浦党関係緒家系図』第4集の中にあることが分かった。

早速、松浦党研究連合会に電話を入れると、佐世保市の芸文堂という出版社が扱っているといい、そちらに電話を入れるように言われた。

どのような本かをインターネットで調べると、昭和57年6月に出版したもので、現在、「絶版」とある。

一か八か、芸文堂に電話を入れると、「ありますので、明日、お送りします」とのこと。定価はさておき、その本が必要であったので、「お願いします」といい、送り先を伝えた。

その日から3日後に注文した本が届いた。早速、その系図を読み始めるが、江戸時代の「名家」は、「家を継ぐ」ため、男の子が生まれなかったり、幼かったりすると「養子」を取ったようで、系図も複雑である。読むだけでは理解できず、書きながら読みながら系図を辿った。

難しかったのは、「兄〇〇順養子」という言葉であった。「いったいどこの誰のところに当てはまるのか?」ということ。この言葉を理解して、やっと「井元弥七左衛門家」の系図(戦国時代から江戸時代)が出来上がった。

しかし、これで終わりではなく、この井元家が明治から現在までどうなっているのかは不明で、さらにその作業が続く。

2018年1月 8日 (月)

今日が成人式!

今日が何で祝日か?と思い、暦を見たら「成人式」。成人式は1月15日ではなかったのがと回りにいうと、笑われた。

テレビのスイッチを入れると、華やかな成人式の様子が流されており、本人はもとより、親も大変。今のところ全国的に平穏に式が終えているという。何よりである。

新聞を見ると憲法論議。特に読売新聞の報道は改正かのような報道ぶり。本当に「正」なのか? 憲法を云々する前にアメリカとの地位協定を対等なものにし、「本土を救った」沖縄の問題を解決する方を優先すべきであると思うのだが・・・。

1月に入り、主宰している「歴史の会」の「30年度の事業計画」を策定中。年4回の史跡めぐりは、4月に茂原・白子方面、7月に富津・君津方面、10月に水戸方面、1月に栄・成田方面を予定。これからバス会社との交渉を行うつもり。

足の具合が大分良くなり、5日にギブスが取れ、現在は半分のギブス。足を次第に元に戻すためであるという。いわゆるリハビリの期間。もう1ヶ月が過ぎるが、「4~6週間かかります」というお医者さんの診断。流石である。病院に来ていた患者さんがいうには「骨折も大変ですが、時間がくれば治るわけで、その期間がはっきりしている。私みたいに腰が痛いのは、いったいいつになったら治るのか、分からない。その方が大変です」と。言われてみれば、なる程である。

それにしても、この骨折のお蔭?で、論文が1本仕上がった。また、歴史講座などで話しをする演題が増えたわけである。でも、動かないので、多分体重が増えたようで、体が重い。早く散歩に出掛けたい!もうしばらくの我慢か?

2018年1月 2日 (火)

正月も2日目

今日は1月2日。何もしなくとも時間は過ぎる。足を痛めているため、家から出られず。仕方なく、県内の史跡めぐりの計画案づくり。県内、ほとんど訪れているため、新たな史跡を探すのは難しい。そうした中で、隠れた史跡を見つける。大変だが、面白い。まずは、富津・君津方面のこんな案を立ててみた。

北大宮台→大宮IC→(館山道)→市原SA(休憩)→富津金谷IC→金谷神社(大鏡鉄見学)→薬王寺(磨崖仏見学)→円正寺(やぐら磨崖仏)→おくにわ公園展望台(内湾遠望)→昼食

昼食場所→西了寺(運慶作山門、葵紋入り箱見学)→建暦寺(貞元親王座像)→JAきみつ味楽囲(お買い物)→船塚山展望台(房総の山々、内湾遠望)→姉崎袖ヶ浦IC→市原SA(休憩)→大宮IC→北大宮台

この計画案は、自家用車で行く場合、マイクロで行く場合、中型バスで行く場合を想定して立案してみた。

2月~3月に実際に下見をしてみる予定。その結果で、削ったり、他の所を追加してりするつもり。

千葉県内も結構探すと面白いところがあるもの。いわゆる観光地ではない、「隠れた史跡めぐり」である。

2017年12月31日 (日)

平成29年の終わりに

今日で平成29年が終わる。振り返って見ると、何か九十九里郷土研究会の『会誌伊和志』の編集に追われた1年ともいえそうだ。4月から作業を始め、会員から提出された原稿を少しづつパソコンに打ち込み、原稿締切の9月始めにはほぼ80%が打ち上がった。

しかし、ここからが大変で、打ち上がった原稿に挿絵や写真を入れる作業、さらに校正と。会員が不慣れであるため、ほとんど一人作業。会員の中には、「どうせ素人が出すものなので、間違いがあって当然!」と、校正作業はほどほどに切り上げてしまう。

でも、素人作業とはいうものの、ミスだらけの『会誌』は出せない。せっかくお金を出せて会として出版するのであれば、「よりよい物を!」と。

それにしても、打ち込んだ原稿にミスが多い。我ながら驚くほど・・・。「パソコンが古くなり、言うことをきかない」と、パソコンの性にしたいが、実は年とともに目と手が衰えていることが最大の原因と。「まーあ! 仕方が無い」ですかね。

そして、校正作業が何と4回。68頁たらずの冊子であるが、ミスはないかと神経を尖らしての作業は結構疲れる。「根性! 根性!」と自分にハッパをかける。

12月13日、出来上がり、『会誌伊和志』第2号が会長宅に届く。会長はこれを見て、感激したという。2日遅れで本誌を見る。「結構いいものが出来た」と自画自賛。8ヶ月に渡る作業の結果である。印刷所の技術も高い。

会員には16日に配布。結構好評で、すでに印刷所への支払いは終え、残りは「特別会計」へ。次回発刊の軍資金。金額よりも、「いいものが出来ましたね」という言葉の方が有り難い。1部800円で販売中。そろそろ部数も少なくなっているとのこと。

これで、今年は終わり。来年は、もう50年余り郷土史研究に取り組む先輩の『郷土誌数々』をまとめ上げる予定。いや!こちらの方が大変かも知れない。

2017年12月29日 (金)

やっと仕上がった論文

今月の初め頃から文献調査をしながら書いていた論文がやっと書き上げることが出来た。その論文とは、「木曽から東総(千葉)にやって来た戦国武将~木曽義昌一族と夫人真理姫物語~」というもの。

平安時代末期の信濃源氏の武将で、源頼朝・義経と従兄に当たる木曽義仲の19代目という木曽義昌(よしまさ)は、天正18年(1590)8月の徳川家康の関東移封に伴い、家康から下総国阿知戸(旭市網戸)1万石が与えられ、信濃国木曽福島(長野県木曽町福島)から転封した。

この阿知戸に移った義昌は、城下町づくり、灌漑用用水路の建設、耕地整理、年貢の減免、植樹の奨励など、数々の徳性に満ちた政治を行い、地域住民から「木曽さま」として崇め慕われた。

そこで、戦国時代を生き抜いた名族木曽氏の事績と、武田信玄の4女で、義昌の正室となった真理(まり)姫の生涯について論考した。

以上が「まえがき」の部分である。

一応、書き上げたが、多少史料不足のところがあり、今後、追加修正していきたいと思う。

2017年12月27日 (水)

日光東照宮社報『大日光』が届く

『大日光』第87号が届いた。

陽明門の修理が竣工してから2度、東照宮に参拝しているが、何しろ参拝者が多いこと。『大日光』の紙面によると、「参拝者数は前年度比約五十%もの増加」とある。

それにしても、「眠り猫」といい、「陽明門」といい、実にきれいに仕上がっている。

やはり『大日光』によると、「『昭和の大修理』と言われる前回の大修理は、昭和四十四年四月に着工しまして同四十八年三月に竣工、丸四年、四十八ヶ月かかっています。当時の総事業費が一億二千六百万円強」とある。

では、「平成の大修理」は?

「前回から41年目に着工、平成25年6月に着工、同29年3月に竣工。4年、46ヶ月」とあります。では、総事業費は「12億円弱」。延べ2万2千人の技術者が携わったという。

陽明門だけで凡そ12億円で、前回の修理の約10倍の経費がかかっていることになる。

こうした大修理は、だいたい50年ごとに行うことが望ましいという。それにしても立派に仕上がった陽明門には感動した。

2017年12月25日 (月)

やっと注文していた『大島村郷土誌』が届く

北九州市の書店に注文していた『大島村郷土誌』がやっと届いた。注文した日が20日(水)、書店が発送したのが翌21日(木)。そして、今日は25日(月)。届いたのが早いのか、遅いのか?

なぜこの本が必要になったのかは、天正18年(1590)に阿知戸(旭市網戸)1万石となった木曽義昌。その跡を継いだ子の義利が慶長5年(1600)に改易となり、行方不明になった。

しかし、実際はこの年の11月に壱岐島に流落していたようで、この壱岐島での義利とその後の木曽家をたどるためである。

現在、木曽義昌と義利について必死に調べ、執筆中で、今月中の完成を目指し、奮闘中である。

大分市にお住まいの井元家がこの木曽家を継いでいるとのこと。情報があったら教えてほしいと懇願中。

2017年12月22日 (金)

久し振りにそろそろ再開!

大変、大変、休んでいましたが、そろそろ再開しようと考えています。

今、やっていることは、県内巡りは相変わらずで、調べものは「木曽義昌と夫人真理姫」です。天正18年に木曽福島から下総国阿知戸(旭市網戸)に転封し、庶民向けの政治を執ったため、「木曽さま」と、崇め慕われています。

この義昌の徳政、さらに夫人真理姫の生涯、そして子の義利について調べています。

義利は慶長5年に叔父義豊を殺害し、改易となりますが、その後が行方不明になった。いや、平戸大島に渡り、その子孫が大分市にお住まいとのこと。このことも具体的に調査。

ちょっとしたことが大きくなり、いろいろな文献を見つけ、何とかまとめきろうと悪戦苦闘中。

上記の件で、情報をお持ちの方はご教示ください。

2014年2月28日 (金)

白浜正人氏の個展

Photo 2月7日から稲毛ギャラリーにおいて開かれた友人の「白浜正人個展」に行って来た。

丁度、大雪の日が続き、車では危険であったため、京成電車で会場に出掛けた。

Photo_2 朝が早かったため、白浜氏はまだ来ておらず、説明なしにじっくり鑑賞。

「アジアの民を描く」という内容であるが、私としては人物よりも風景の方が気に入った。

Photo_3 それにしても、数々の絵と彫刻を見ながら、公私ともお忙しいにもかかわらず、よくもこれほどのものを書き上げたものだと感心した。

2012年7月 4日 (水)

政論/本末転倒の野田民主党~消費税増税法案に賛成したものこそ「造反」だ!

野田さん、あなたは「(マニフェストに)書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。」と言いながら、マニフェストに「消費税増税」のことは書いていないにもかかわらず、「命懸け」で実行している。まさに野田さん、あなたは嘘つきであり、「財務省の広報ブルドック」で、「千葉県の恥」でもある。

法案に反対した人たちを「処分」する野田民主党。国民の側から見ると、賛成票を投じた人たちよ、国民との約束を破ったという「後ろめたさ」はないのか?「恥である」と思わないのか?野田民主党の人たちが会見する場の「国民の生活第一、民主党」という文字が、しらじらしく見えてならない。野田民主党は、憲政史上、最悪の政権ではないのか!

最近、野田さんは「民主党を立て直す」とおっしゃっているが、もう政権交代したときの民主党の姿はなく、官僚いいなり、ごうまんな野田さん、裏切り政権で、あきれるばかり。うそと出任せ、口先、2枚舌の野田さん。「立て直す」とは何をですか?もうあなたの言葉には誤魔化されないですよ!

そして、この政権を支えている「野田民主党の議員の方々」、あなたがたこそ、「造反者」で、「除籍」処分である。

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