無料ブログはココログ

君津市

2012年12月23日 (日)

鹿野山神野寺再訪

Photo_5寺伝によると、推古天皇6年(598)9月に聖徳太子が日本武尊の「神明」を敬い、鎮守として創建したという。天安元年(857)2月、円仁(慈覚大師)が再興し、天台宗道場とした。

Photo_6宝永7年(1710)建立の本堂の裏側に聖徳太子像があり、その脇に左甚五郎作という白蛇が祀られている。白蛇は軍茶利王の化身である。

表門(国重要文化財)は、道場、太子講堂、宿坊などに出入りするための門で、室町時代のものであると推定されている。

Photo_7道場は、間口13間、奥行8間3尺で、天正19年(1591)の建立で、中には本尊釈迦如来が安置され、徳川家の位牌が祀られている。

今年だけで何と4回目の参拝となるが、いつ行っても静寂の中にある寺院で、心が洗われる。

2012年5月29日 (火)

鹿野山史跡巡り(7)日本武尊塚

Photo白鳥神社の脇に登山道があり、この道を5分ほど歩いて登ると、鹿野山の最高峰、白鳥峰(379m)となる。

Photo_2


ここには、日本武尊を祀った塚(日本武尊塚)があり、正面の石碑に「日本武草薙」と刻まれている。

Photo_3この塚の周りには奉納された松が大きく育ち、周辺部を見渡すことができない。

2011年12月27日 (火)

鹿野山史跡巡り(6)神野寺(その3)

Photo神野寺は、正式には「鹿野山琳聖院神野寺」といい、真言宗智山派の寺院で、本尊は薬師如来・軍茶利明王です。

Photo_2


境内を一通り巡った後、宝物殿に入り、この寺院の宝物を見て周りました。

かって飼育していたトラが2頭が逃げ出し、話題になりましたが、これは先代の時代で、先代は生き物に異常な興味があったようです。この宝物館を見て、それを実感しました。

2011年12月26日 (月)

鹿野山史跡巡り(5)神野寺(その2)

Photo_3初めに紹介しませんでしたが、「鹿野山」とは白鳥峰(東峰、379m)、熊野峰(中央峰、376m)、春日峰(西峰、352.4m、1等三角点)の3峰の総称です。

Photo_4天正18年(1590)に江戸に入った徳川家康は、翌年に家臣である佐貫城主内藤家長に伽藍や僧坊を造営させた。

しかし、元和7年(1621)12月に坊中から出火して、堂宇を焼失した。宝永5年(1708)に再建し、松平勝隆は用材を寄進している。このときに建築されたのが現在の本堂である。

Photo_5境内には仁王門・本堂・経堂・六角堂・鐘楼堂・五重塔・天満宮・奥の院・表門・宝物殿・太子講堂・道場・宿坊・庫裏・茶室などが点在しています。

本堂の右側には道場・太子講堂・宿坊などに出入りするための「表門」(国指定重要文化財)がある。茅葺・切妻造りで、室町時代の手法を伺えます。

Photo_6


正面には間口13間、奥行8間3尺の道場があり、天正19年の建立といいます。道場内には本尊釈迦如来が安置され、徳川家位牌が祀られています。

この道場の右側が宿坊で、左側には江戸城の庭園を真似た庭園があります。

2011年12月24日 (土)

鹿野山史跡巡り(3)阿久留王塚

Photo_5白鳥神社の先の交差点を右折し、700mほど行くと、左手に「阿久留王塚入口」の指示板が立っています。

Photo_6この案内により、左手に斜面を下りて行くと、まもなく右側に「阿久留王塚」という、前方後円墳状の古墳があります。

Photo_8この阿久留王は、景行天皇時代に鹿野山に住む豪族で、中央の大和朝廷からは蝦夷(えみし)と呼ばれ、朝廷に従わない勢力として討伐の対象になったいた。

阿久留王は、景行天皇の皇子が拠っていた高坂城(袖ケ浦市吉野田)を攻め落とした。これに対して天皇は日本武尊を派遣し、阿久留王と対決した。

Photo_9武尊は、まず近くの滝口城を攻め落とし、次いで高坂城を奪回し、この城の近くを流れる鑓水川(小櫃川の支流)で阿久留王らと戦った。この戦いで、阿久留王は討ち死にし、武尊の軍が血に染まった槍を川で洗ったといわれます。

そして、武尊は、阿久留王が生き返るのを恐れて、首や胴をバラバラにし、別々の場所に葬ったといい、胴体を埋めたのが、この塚であるといわれています。

2011年12月23日 (金)

鹿野山史跡巡り(2)白鳥神社

Photo九十九谷展望台のほぼ反対側に白鳥神社があります。説明板には、

Photo_2<口碑によれば、日本武尊が東征の折、この地に夷賊を平らげ、人民を愛撫したことに住民たちは其の威徳に感服し、本社を剏建(そうけん)して尊の神霊を祀ったといわれている。また、武将等の崇敬厚く、永正十年(1513)真里谷城主武田信勝、久留里城主里見義尭、佐貫城主らによって浄財の寄進を得ている。県指定無形文化財の「はしご獅子舞」がこの祭礼に奉納されている。(清和村誌より)>

と記されています。

Photo_4境内には日本武尊の妃を祭神とする「弟橘比売神社」があります。

また、本殿の左側に登山道があり、5分くらいで山頂に到着します。ここには日本武尊を祀った祠(日本武尊塚)と、水準点があります。

2011年12月22日 (木)

鹿野山史跡巡り(1)九十九谷

Photo鹿野山散策の最初は、九十九谷展望公園へ。

Photo_2


山並みが幾重にも重なり、墨絵のように霞むさまは、文学者の大町桂月が「天下の奇観」と激賞し、東山魁夷の出世作「残照」のモチーフになっている。

Photo_3久しぶりの鹿野山。道路も、展望台も、以前より整備され、散策しやすくなった。しかし、この日、観光客に会うのは数人で、実に閑散としていた。平日のためであろうか?

Photo_4この展望台の他、今年、新たに駐車場と展望台が設けられた。

曇の日ではあったが、実に幻想的な風景であった。

2011年12月10日 (土)

紅葉を見に亀山湖周辺散策(その4)三石山の展望台

Photo_3観音堂の先に数人の人影が見られた。何事かと近寄ると、新しく「展望台」と駐車場、トイレが設けられていた。

早速、ここの駐車場に車を移動し、展望台に登る。ここは初めてである。階段は広かったり、狭くなったりで、歩きにくいが、休むことなく展望台へ。

ここから広々とした房総の山並みが見られ、今日は富士山も見ることが出来、大変素晴らしい。ベンチに腰をおろし、しばしの休憩。

2011年12月 9日 (金)

紅葉を見に亀山湖周辺散策(その3)三石山観音(1)

Photo亀山湖から山道を登り、三石山へ。

この山の山頂には大きな3つの岩があるのが山名の由来で、応永16年(1409)に覚恵上人が岩下の石窟に十一面観世音菩薩を安置したのが始まりという。

その後、岩窟が崩壊し、十一面観音菩薩像が失われたが、しばらくして像が忽然と姿を現したため、慶長16年(1611)に岩下に観音堂建立した。

Photo_2


境内にはひっきりなしに参詣者が訪れていた。こんなに人出のある境内は初めてである。

山道(縁結びの参道)」を登っていくと、観音寺の奥の院があり、縁結びの本尊を祈願した。

ここから遠くに雪をかぶった富士山が見られた。

2011年12月 6日 (火)

紅葉を見に亀山湖周辺散策(その2)亀山湖(2)

Photo君津市観光協会亀山支部発行のパンフレットの中の「ハイキングガイド」には、亀山湖周辺モデル地区があり、歩行距離約4.8km、時間約1時間15分に基づき散策を開始しました。

Photo_2


亀山やすらぎ館から川俣大橋を渡り、障子竹橋へ。日曜日のため、人も車も多く、互いに譲り合って先に進みます。

ところどころで紅葉が見られ、その美しさを感嘆します。

紅葉は、まだ8分程度。この週の中頃には全体が紅葉するものと思われます。

普段は人と出会うのも稀ですが、この日は多くの人とすれ違います。紅葉の美しいところでは立ち止まってカメラのシャッターを切る人の多いこと。

Photo_3


予定としてはボートに乗って紅葉を堪能しようと思っていましたが、待ち時間の長いこと。諦め、湖の周辺をハイキング。

この湖の周辺には歩道がなく、車に注意しながらの散策でした。

最近のトラックバック

2015年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31