長南町の史跡めぐり(18)芝原の熊野神社
熊野神社は、承平2年(932)に長南二郎滋殖(しげいく)が創建し、15世紀に庁南城を築いた武田信長が改築して長南の鎮守にしたといわれている。
ちなみに長南滋殖は、学問の神様として有名な菅原道真の子孫で、母親の里、判家で成長し、24歳の時の延長2年(924)に上総介に任じられた兄(10男)の淑茂(よししげ)に連れられ、上総国に着いた。当時の滋殖の領地は河家郷(長南町給田付近)である。道真の子は11名おり、うち9名が地方官であった。
淑茂が任期を終えて都に帰るとき、滋殖は残り、延長5年(927)頃に土地の名前を取り、長南二郎と名乗り、地元の豪族の娘「まつの」と結婚し、開拓領主の初代となった。
承平7年(937)に滋殖は、国府勤めを辞め、紅花を栽培して「紅餅」を作り、都に納め、「長南紅」として有名になった。
この熊野神社には大小2基の御輿(みこし)があり、もとは庁南城を攻め、大多喜城主になった本多忠勝が寄進したものであるという。
その後、御輿2基は老朽化したため、享保5年(1720)に氏子たちが新たに奉納したという。


































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