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石岡市・笠間市

2009年8月 9日 (日)

石岡市と笠間市を訪ねて(8)笠間稲荷

Photo 「夏の3人巡検」の最後は、笠間稲荷へ。

日本三大稲荷の一つで、白雉2年(661)に創建されたといいます。祭神は宇迦之御魂(うかのみたま)命で、五穀豊穣・商売繁盛の神です。

Photo_2 丁度、この日はお祭りの日で、参道には多くの出店がありましたが、人出の少ないことには驚きました。

神社の境内では、「境内末社(月読神社・白山比咩神社・天満宮・粟島神社・山倉神社)」の例祭」が行われていました。この祭りは、各社を崇敬されている人々が日頃から抱いている神徳の誠を捧げるためのものです。神主さんや巫女さんたちが厳粛に祭り事を行っていました。

3人もしばらくその場でお祈りしました。

Photo_3 今年の「夏の3人巡検」は、当初、山梨方面を予定していましたが、「高速道路1000円」の影響で、東北千葉氏の地、相馬市に変更。しかし、相馬市は遠く、途中で常陸国府であった石岡市に再変更。下調べをしていなかったため、市役所に行き、情報を得ました。そして、市内をブラブラ。行き当たりばったりにしては見どころもあり、今年も充実した研修になりました。

天野さん、浅井さん、ご苦労様でした。

2009年8月 8日 (土)

石岡市と笠間市を訪ねて(7)常陸風土記の丘

Photo_2 石岡市染谷にある「常陸風土記の丘」を訪ねました。

長屋門を入ると、曲がりやの「お休み処」があり、時の門を通り、事務所で入園料310円を払い、中に入りました。

Photo_3 古代の家屋が復元されており、中でも「鹿の子史跡公園」は圧巻でした。

2号連房式竪穴遺構は、発掘調査では炉跡1基・かまど跡4基の他、漆付着土器・瓦・砥石・小札・釘などが床面全体に出土したといいます。

建物の用途は、住居と工房を併用していたようです。

この他、5号連房竪穴遺構(竪穴住居)・1号工房・寄棟造りの長屋・作業棟・管理棟・作業場・高床式倉庫などが復元されていました。

2009年8月 7日 (金)

石岡市と笠間市を訪ねて(6)常陸国分寺跡

Photo_6 天平13年(741)に聖武天皇の命により、国土安寧・万民息災を祈願して全国66ヶ所に国分寺・国分尼寺を建立しました。

Photo_7 常陸国分寺跡は、若宮3丁目にあり、当時、常時30名の僧侶がいたといいます。

この一帯は、国指定特別史跡で、「金堂」跡には礎石が見られました。

2009年8月 6日 (木)

石岡市と笠間市を訪ねて(5)石岡中通りの登録有形文化財

Photo 石岡市中通りの登録有形文化財を巡りました。

石岡市内は、昭和4年の大火で、市内の建物のほとんどが焼失し、その後、5~6年に再建されたといいます。

Photo_2 この中通りには昭和レトロを感じさせる登録有形文化財が建ち並んでいます。この登録有形文化財には12件、18棟が登録されているということです。

この日は、気温はそれほど高くはないが、蒸し暑い。

Photo_3 一つ一つの建物を見て回っている途中で「丁子屋」で一休み。この建物は, 昭和4年の大火で焼失を免れたもので、観光協会が借り受け、休憩所(まち蔵藍)としています。我々は飲み物を注文し、外の台に腰を降ろして休んだ後、建物の内部を見せてもらう。何と涼しい。風通りよく建てられているためであるといいます。

Photo_5  登録文化財に指定されている建物は、実に立派で、お金も掛かっています。裕福な家が多かったようで、石岡は、かって「桐」の産地で、これが高い値で売れたことによるといいます。

お昼になったので、「きそば東京庵」で美味しい蕎麦を頂きました。

*写真は「丁子屋」を除き、石岡市観光ガイドのものをお借りしました。

2009年8月 5日 (水)

石岡市と笠間市を訪ねて(4)照光寺の常陸府中藩主松平家墓所

Photo 石岡小学校の近くに照光寺(浄土宗)があります。

この寺は、応安7年(1374)に常陸大掾平氏の菩提寺として鹿の子の地に創建され、府中80ヶ寺の中の5大寺に列したといいます。

その後、天正の乱で焼失し、文禄4年(1595)に大掾氏に代わって佐竹義尚が現在地に再建しました。この地」は、府中6名家の1家、香丸氏の屋敷跡でした。

Photo_2 江戸時代には、元禄13年(1700)に水戸徳川家の支藩である松平播磨守頼隆が入封し、幕府から黒印10石が付与され、境内を整備しました。

墓所には「藩主松平播磨守墓所」があります。小石川宗徳寺にありましたが、大正時代に現在地に移築しました。

藩主の墓所ということで、当初は広大な敷地に立派な墓所があると思っていましたが、実際に墓所を見て、余り広くはなく、質素なものに、逆に驚きました。

2009年8月 3日 (月)

石岡市と笠間市を訪ねて(2)常陸国府跡

Photo 石岡小学校の敷地が「常陸国府跡」であるという。

ここには7世紀後半から8世紀初めに大規模な国府があった。

Photo_2 この地の発掘調査より、その全貌が明らかになっている。大型の柱穴・掘立柱建物跡・溝跡などが発見された。国庁は南向き、東西に平行して脇殿があった。

Photo_3 正殿の南には前殿を配し、四方は築えた地塀で囲んでいた。また、一時期には東西に楼閣も建てられていたという。

それにしても国衙とは広大な土地に多くの建物が建てられていたことが判った。

発掘調査などの写真は、民俗資料館のものを複製した。

2009年8月 2日 (日)

石岡市と笠間市を訪ねて(1)府中城跡

Photo_2  恒例の、いわゆる「3人歴史巡りの旅」を8月1日に行った。この旅は、もう20年以上となり、天野さんとの夏の巡検。5年前から浅井さんが加わり、3人となった。行き先や見学先は全て天野さんが浅井さんと相談し、決めている。

今年は、山梨方面を予定していたが、「土日高速道路1000円」の政策のため、中央道が異常に混み合うということで、前日の相馬市へ変更。

Photo_4  しかし、京葉道路に乗ると、カーナビによると相馬到着が12時30分。これでは行って帰って来るだけ。そこで、あえて変更し、常陸国府であった石岡市巡りとなる。

Photo_5 石岡市役所に行き、情報を得て、巡るべき史跡を決める。まず、訪れたのが「府中城跡」。一帯が石岡小学校となっている。

見事な土塁の一部が残っていた。もとはこの地は常陸国府の国衙跡でもあったという。飛鳥・奈良時代のことである。

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