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鎌ヶ谷市

2009年11月14日 (土)

鎌ヶ谷市内巡り(7)延命寺

Photo_3 江戸時代の鎌ヶ谷宿は、大仏から延命寺までであったといい、旅籠は船橋屋・鹿島屋・銚子屋・柴崎屋・江戸屋・丸屋の6軒がありました。

Photo_4 延命寺(日蓮宗)は、山号を常得山といい、中山法華経寺の末寺で、慶長8年(1603)3月の創建であるといいます。宿及び中新田の人々の檀那寺で、文政10年(1827)5月に奉納された釈迦涅槃図があり、谷文晃の弟子で、当地出身の文居の作です。

山門をくぐると、正面に立派な本殿があり、境内はきれいに整備されていました。

2009年11月13日 (金)

鎌ヶ谷市内巡り(6)木下街道

Photo 木下街道は、もとは「かしま道」、「行徳道」ともいい、利根川舟運の拠点木下河岸(印西市)と江戸川筋の行徳(市川市)を結ぶ道です。この街道の名称は公的なものではなく、明治期に定着したもので、鮮魚が主要な扱荷であったことから、「なま街道」とも総称されていました。

また、江戸中期からの香取神宮・鹿島神宮・息栖(いきす)神社(茨城県神栖町)を巡る「三社参詣」や銚子巡り、飯沼観音(銚子市)などへの巡礼者が増加し、「かしま道」・「いんざい道」・「木おろし道」などとも称されていました。

Photo_2 道筋は、木下河岸より大森村ー泉新田(以上印西市)ー白井橋本村(白井市)ー鎌ヶ谷村(鎌ヶ谷市)ー上山新田ー馬込村ー藤原新田(以上船橋市)ー八幡宿ー本行徳村(以上市川市)に至る道です。

銚子から鮮魚を乗せた「なま船」は、8~4月には夕方に出発し、未明に木下河岸に着き、ここで馬の背に積み替えられ、行徳まで駄送され、ここで船積みにし、江戸日本橋魚市に運ばれました。木下から駄送約9里、本行徳から船運約3里の行程でした。

この街道は、現在でも車がひっきりなしに通り過ぎて行きます。

2009年11月12日 (木)

鎌ヶ谷市内巡り(5)官軍兵士の墓

Photo_11 大仏墓地内に「官軍兵士の墓」があります。

慶応4年(1868)に江戸城明け渡しに反発した旧幕府軍の撤兵隊と、これを鎮圧するために向かった新政府軍とが、市川・船橋付近で激しく戦いました。

Photo_12 このときに鎌ヶ谷大新田付近で、新政府軍側の佐土原藩兵2名が戦死しました。この戦死した2名の墓に、明治19年(1886)に千葉県が墓石を建てました。

墓石の前にはお花が供えられていました。

2009年11月11日 (水)

鎌ヶ谷市内巡り(4)八幡神社境内の「百庚申」

Photo_9 古来、兵馬の守護の武神と信仰され、地元の人々の生活と結びつき、勝運繁栄・子育て・安産の神として信仰された「八幡神社」の参道に「百庚申」があります。

Photo_10 これは、天保12年(1841)から13年(1842)にかけて建てられたもので、青面金剛像が10基あり、その間に文字塔が9基ずつ、計90基が並んでいます。

多くの功徳を得るため、100基が建てられたということで、「百庚申」と称されています。

実に壮観な「庚申塔」の列でした。

2009年11月10日 (火)

鎌ヶ谷市内巡り(3)八幡神社と庚申道標

Photo_7 新京成の鎌ヶ谷大仏駅を右手に行くと、すぐ右側に「八幡神社」があります。

この神社は、八幡大神と称される誉田別命を祭神としていますが、創建は不詳です。

八幡信仰は、源頼朝時代、神々の中でも特に八幡大神が崇敬され、諸国の守護・地頭は源氏に因縁のあるこの神を領地内に勧請したことにより、広まったといいます。

Photo_8 この神社の本殿の右側に「庚申道標」があります。もとは大仏十字路付近の庚申塚の塚上にあったもので、中央の1基は寛政7年(1795)に造立されたもので、

さくら(佐倉)道

こがね(小金)道

と刻まれています。

2009年11月 9日 (月)

鎌ヶ谷市内巡り(2)旅籠屋「丸屋」

Photo_5 木下街道の鎌ヶ谷宿は、鎌ヶ谷大仏から延命寺までの区間で、街道沿いには問屋や旅籠などが立ち並んでいたといいます。

Photo_6 寛政12年(1800)の『鎌ヶ谷村明細帳』には旅籠が7軒あり、明治6年(1873)には4軒が営業していました。

この旅籠(宿屋)の中で、唯一残るのが「丸屋」の建物で、明治30年ころに建てられたものであるといいます。

この建物を眺めていますと、何か江戸時代に逆戻りをし、2階の窓から行商人が顔を出すような錯覚を覚えました。

2009年11月 8日 (日)

鎌ヶ谷市内巡り(1)鎌ヶ谷大仏

Photo 新京成の「鎌ヶ谷大仏駅」を降り、右手に向かうと、間もなく左側に市指定文化財の「鎌ヶ谷大仏」があります。

安永5年(1776)に鎌ヶ谷宿の大国屋の福田文左衛門が祖先を供養するため、江戸神田鋳物師多川主膳に鋳造させ、造立したものであるといいます。高さが1.8mの青銅製の釈迦如来座像です。

写真などで見ますと、さぞ大きな大仏であろうと想像しますが、実際に目にしますと、それほど大きくは感じません。しかし、個人が造立したことを考えますと、鎌ヶ谷宿の盛時をうかがうことができます。

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