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山梨県

2011年8月13日 (土)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(9)大野山本遠寺(その3)

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本堂の裏手には「養珠院お万様の墓所」(山梨県指定史跡)がある。

承応2年(1653)8月21日にお万の方は江戸紀州家の館において77歳の天寿を全うし、安穏のうちに逝去された。

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遺言により、この本遠寺に埋葬された。

「今、本堂南、裏山の中腹、はるかに富士川の清流を絵のような眺めを望むところと、老松の下に、石の玉垣に囲まれてお万の方のお墓に養珠院お万の方の御霊魂は、今も安らかに眠っています。」(近貫龍『養珠院お万の方』より)

2011年8月12日 (金)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(8)大野山本遠寺(その2)

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本遠寺の本堂をじっくり眺めていると、執事の方と思われる方が、「どうぞ本堂に入ってご覧ください」といい、この寺院の由緒などについて説明をして頂きました。

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そして、頂いた『養珠院お萬の方』には、「慶長法難で身延山日遠上人の命を救い、身延七面山登詣女人踏み分け、信仰婦人のかがみ」と記されています。

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お万の方は、家康の10男で、紀州藩祖頼宣と11男で、水戸藩祖頼房の生母となり、この紀州家と水戸家に命じて現在の本堂、鐘楼堂、庫裏などの堂塔伽藍を造営させたといいます。

本堂の天井にはお万の方の足跡が残っています。2つある中で小さい方がお万の方の足跡であるといいます。

2011年8月11日 (木)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(7)/大野山本遠寺(その1)

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慶長14年(1609)にお万の方の帰依を受けた久遠寺22世日遠が開山となり、創建したという大野山本遠寺(ほんのんじ)へ。

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大きな朱塗りの山門をくぐると、正面に国の重要文化財となっている入母屋造りの量感あふれる本堂がある。

慶安3年(1650)建立で、紀州徳川家と水戸徳川家による寄進で、太い欅(けやき)の丸柱を中心に、地味ながらも質実剛健な造りである。

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右手には客殿があり、旧紀州藩邸のお万の方の居宅であったという。境内の右側にお万の方が足を洗うのに使用したという井戸がある。

2011年8月10日 (水)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(6)久遠寺(その2)

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久遠寺の境内をフラフラした後、本堂下の「宝物館」を見学する。

数々の書物や掛け軸、法要道具などを展示してあるが、本遠寺のお万の方の像が見ものであった。

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あまりにもゆっくりと見学したため、ロープウェイで奥の院まで行けず、男坂を下り、次の見学地・本遠寺に向かった。

この久遠寺の参詣は、今回が初めてであると思っていたが、帰宅して女房に話すと、大分むかしに家族旅行で行ったことがあるという。すっかり忘れていた。

2011年8月 9日 (火)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(5)身延山久遠寺(その1)

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参った!久遠寺の正面の階段に挑戦したが、結局、3分の1くらいで止め、左手の男坂を登ることにした。若いつもりが歳を感じてしまった。この階段は287段があるとか。

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車で西谷の駐車場まで行き、ここから斜行エレベーターで行くと本堂前の境内に出られるということは後で分かった次第である。

男坂を登り(他の若い2人は階段を登る)、本堂の前に出た。右手には五重塔が聳え、正面には本堂の他、本堂よりも立派な祖師堂、報恩閣、御真骨堂、仏殿、客殿が並んでおり、実に壮大である。

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房総の片田舎で生まれた一人の子供が、よくも偉大な人物に成長したものであると、感心しながら、あらためて祖師堂を見つめた。

2011年8月 6日 (土)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(4)弁天堂雄滝(おたき)

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羽衣白糸の滝から15分ほど上流に行くと「弁天堂雄滝」がある。

白糸の滝と雌雄一対の滝で、修行者の行場として知られている。秋は紅葉に映え、冬は氷瀑となって見応えがあるという。

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切り立った山に張り付くように建てられた弁天堂(本尊が弁天様)があり、その裏に轟々と落ちる雄滝がある。

昭和26年頃に中山法華経寺の日教上人が修行の場として堂宇を建立したのが起こりであるという。

静寂な山間部に滝の音だけが鳴り響いていた。

2011年8月 5日 (金)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(3)羽衣白糸の滝とお万の方像

赤沢集落から春木川流域の細い道を早川町に向かう。

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この道は、江戸屋さんの女将さんが、「同じ道を引き返すよりも、白糸の滝とお万の方の像を見学して行ったら・・・」という推薦の場所である。

川の流域に車1台しか通行できない道を行く。しばらく進むと先に羽衣橋があり、その手前の左手下に白糸の滝とお万の方の像があった。

落差のある美しい滝。傍らには七面山の女人禁制を解いたことで知られる徳川家康の側室であったお万の方の銅像が建つ。

滝では一人の女性が滝にうたれながら行水をしている。この場所は、熱心な信者が心身を清めるために1年を通して修行を行い、神聖な場所であるという。

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お万の方は、当時、七面山が女人禁制だった矛盾をはらすため、21日間、この滝で身を清め、そして、女性で初めて登詣をしたという。これによって、お万の方は女人踏み分けの祖といわれている。

2011年8月 4日 (木)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(2)赤沢集落(その2)

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近世後半から太平洋戦争前まで身延山・七面山の参詣者で賑わった赤沢集落は、七面山登山口までの車道が整備され、参詣客は身延山を往復し、その後七面山登山口にバスで来て七面山を往復して帰るというコースを取るようになり、中継点である赤沢から客が遠のくことになった。

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平成5年7月に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された。建物の作りとしては、座敷の2辺を囲む周り土間が特徴である。これは、大勢の参拝客が一斉にわらじを脱いで家に上がれるようにしたものである。

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それにしても、今もなお、山々と渓谷に囲まれている赤沢集落は、何か日本人の本来的な生活土壌を再現しているようである。そして、心のやすらぎと落着きとを感じさせてくれる。

2011年8月 3日 (水)

3人衆/夏の巡検/富士川流域編(1)赤沢集落(その1)

例年、夏の実施している仲間と3人による「夏の巡検」。今年は、中央高速の甲府南ICから富士川流域の史跡を巡りながら東名高速の富士ICに至るコース。

この巡検のコースと見学先は、例年、若い2人(といっても最早50代になった)が担当し、私は車の後ろに乗って辺りを見回し、彼らの指示(?)通りに見学先を動き回るだけ?

この巡検は、初めは2人であったが、その後、1人加わったが、2人時代からもう30年以上も続いている。

さて、朝の6時に出発に、都内も混まずに通り抜け、途中でトイレタイムを取り、3時間足らずで甲府南ICを降り、早川町役場へ。ここでパンフレットを頂き、赤沢集落への行きかたを教えてもらう。

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そして、ここから自家用車1台ぐらいがやっと通ることが出来るくらいの道を通り、赤沢へ。前から車が来ると、すれ違うには難儀するくらいの道である。明治初期まで、この道にはトロッコ馬車が通っていたといい、それが唯一の交通機関であったという。

ほとんど車とはつれちがうことなく、曲がった細い道を進み、赤沢集落に。この集落は、日蓮宗の総本山である身延山と、同じ日蓮宗の霊山である七面山との参拝する客の宿場として栄えた。

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身延山と七面山の参詣は、自動車交通の以前は身延山久遠から奥の院に登り、そこから赤沢に降りて一泊し、翌日、七面山に登るというコースが一般的であったという。

この集落は、山の中腹に位置する山間集落で、最盛期である明治期には総戸数40戸程度で、9軒の旅館であったが、泊めきれないときもあり、旅館の蔵や周囲の民家にも宿泊したという記録がある。

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我々の車は、現在、唯1軒が営業している旅館の江戸屋の駐車場で駐車をさせて頂いた。

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