印西市小林にある大井競馬の施設(牧場・トレーニングセンター)である小林牧場に桜見物に出かけました。
この牧場は、昭和40年(1965)に八王子牧場の廃止に伴い、大井競馬に所属する競争馬の育成・調教、休養を目的として開場されたものです。
大井競馬などの出場する馬は、ここで調教されます。
正式名称は、大井競馬小林牧場で、施設管理者は東京都競馬です。
入口からロータリーまで続く約700mの道路の両側に桜が植えられ、開花時期には見事な桜並木で、花見の名所として知られ、多くの人や出店で賑わいます。
13日に「いずみ郷土史会」の人たちと、桜見物と称して、この牧場に行きました。
見事な桜並木が続き、平日にもかかわらず、多くの人で賑わっていました。
印西地方には利根川・手賀沼・印旛沼の水害に備えて土盛りし、その上に蔵や土蔵を建てた「水塚」がある。
<洪水に備えて屋敷内に盛り上げして築いた高台。また、そこにある建物。関東地方の利根川沿いに多く見られる。>
とあり、「みつか」、「みづか」、「みずか」という。
平成10年の調査では字六軒に2基、字発作に5基、亀成に2基、計9基あったが、この地域が大洪水に見舞われた昭和13年と比較すると3分の1に減ったという。これは、昭和31年に手賀沼排水機場が造られ、洪水の危険が少なくなったことによるという。
平成22年の調査では、字六軒に2基、字発作に4基、亀成に2基であるが、実際に水塚の家に建物が建っているのは字六軒で1基、発作で1基、亀成で1基の計3基しかない。
(参考)滋賀秀実「印西の水塚」(『印西の歴史』第5号)
花島山について、『利根川図志』には次のように書かれています。
<印旛江の中にあり。平賀村に属す。むかし此島へ舟にて渡りし由云伝ふれど、今は田畑となれり。島の廻り一里といへり。此絶頂にむかし寺あり。大日本寺といふ。今は不動堂と籠り堂のみ残れる。弘法大師護摩修行の古跡なりとて、護摩壇塚・独鈷水(とつこする)(東の方山の半腹にあり)など、今に存在せり。山に十六峯、八谷ありと云ふ。
さて此山に登れば、西には富士、南には佐倉の城山将門山、東に当りて成田山、北を望めば筑波・日光の山々、また、北須賀村水神の洲崎は江の半に蛾媚をなし、往来の高瀬船は白帆を掲げて八方に乗りちがへ、数万の漁舟は柳葉をちらすがごとく、千勝万景応接するに遑(いとま)あらず。誠に北総第一の勝地なるべし。>
とあり、弘法大師の護摩修行の場であり、頂上から見る景色は北総第一であるという。
現在は、樹木が大きく茂り、残念ながら頂上から周辺部を見渡すことが出来ない。
市杵嶋姫(いちきしまひめ)命・湍津姫(たぎつひめ)命・田心姫(たごりひめ)命の三神を祭神とする宗像神社は、航海治水の神として知られている。
この船尾の宗像神社は、縁起によると、室町時代末期には鎮座していたと思われ、元文2年(1737)に京都の吉田殿から正一位の神号を賜りました。
本殿は、元禄7年(1694)に再建されたもので、6尺(1.8m)四方の銅板葺きで、拝殿は間口6間(10.9m)、奥行き2間(3.6m)にトタン葺きで、大正12年に改修されました。
神社の入口には庚申塔などの石仏が並び、境内はスギ・カシ・シイなどの木々が茂り、左手には吉植庄一書による「改修記念碑」(大正12年12月建立)が建てられている。また、天照皇太神、八坂神社、天満宮、疱瘡神などが祀られている。
この神社には鳥居が建てられていない。その訳は、鳥居を建てると洪水になるという言い伝えによるもので、昔、たまたま鳥居を建てた年に洪水に見舞われたことがあったという。
利根川に架かる山田橋から歩くこと、約7~800m行くと鶴巻橋がある。ここから印旛沼自転車道を進み、約200m行くと、ナウマン象出土地があり、この地の堤防にパネルが埋っています。
ナウマン象の化石は、1966年(昭和41年)の印旛水路工事でブルトーザーが掘削
作業中に発見されました。
当時、5本の頭、胸、足の骨がそろって発見されたのはこれが初めてで、貴重な資料でああったため、発掘調査が行われ、約3万年前の化石であることが判明しました。
復元されたナウマン象は、体高2.17m、体長3.4mで、現在のアフリカ象に似ています。
この化石があった地層は、以前そこが沼地であり、象が水辺で落ち込んで死んだものと想われ、台地の崖から崩れ落ちた土砂に埋もれてしまったものではないかと考えられています。
人一人いない自転車道を歩いていると、今にもナウマン象が現れるような錯覚に陥りました。
竹袋の五ノ神に小さな祠があり、地元では「石神様」と称されています。
この祠が現在地に建てられたのは、昭和16~17年のことで、過去に2回移転しているといいます。
祠の中には木製や石製の男根が祀られ、当初、参拝した人の多くは、主に花柳界の女性たちで、下の病によく効くとか、よい旦那に巡り会えるようにとの願いを込めてお参りしたといわれています。
祠の内外に多くの男根が奉納されていたが、石神様にあやかって一つ、二つと持ち去られ、現在は、その数は少なくなっています。
また、現在は、参拝に訪れる人も少なくなったが、地区の人たちが1月27日と10月27日に掃除をし、供え物をしています。
この神社に続く西の台地は、城山で、『利根川図志』の竹袋城山の項には、
<井ノ内といふ一家の古書に、この城の事をいへる書あり。写してここに出す。
延長七巳丑歳、佐倉城主平将門殿、常陸筋合戦の出張城なり。将門、家臣分に河下の香取郡左(佐)原領内牧野郷に長者あり。名を牧野庄司なり。其の娘に小宰相(桔梗の前)有り、そこで将門どの御重く寵によりて此のところの城へ召しよせ置き候。(以下略)>
とあり、将門が出城を築き、牧野郷の長者の娘で、将門の妾、小宰相(桔梗の前)を住まわせたという。
<明治十七年 千葉県印旛郡本埜村下井に生る。
四十三年(26歳) 東京帝国大学法科大学経済部に入学
大正十年(37歳) 第一歌集「寂光」出版
昭和三年(44歳) 第二歌集「くさはら」出版
第三歌集「煙霞集」出版
十年(51歳) 水田六十町歩の開墾完成
十一年(52歳) 衆議院議員に当選
十四年(55歳) 第四歌集「大陸巡遊吟」、
随筆集「馬の散歩」出版
十六年(57歳) 第五歌集「開墾」出版
(中略)
三十三年(74歳) 第十一歌集「霜ふすま」出版
同年十二月七日午前十一時 逝去>
と刻まれている。
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