多古の史跡めぐり(1)民権派桜井静の墓碑
郵便局と寺院の間に「桜井静の墓所」との門柱があり、雑草で荒れた道を入って行く。参拝に訪れる人はいないようで、大きくのびた草を踏み分けながら、先に進んだ。
桜井静は、安政7年10月に香取郡東条村(多古町)で生まれた。旧姓は「吉川」で、武射郡小池村(芝山村)の桜井吉造の婿養子になった。明治12年に「国会」の開設を求め、「国会開設懇請協議案」を発表し、各府県会に送付し、「自由民権家」として活躍した。
明治14年に「総房共立新聞」を創刊し、23年の「第1回衆議院議員選挙」に立候補したが、落選した。その後、北海道へ渡り、「造林・開墾事業」に従事し、「桜井農場」を経営し、次いで、大連にも「桜井組」をつくり、開墾事業を展開した。
その後、千葉県会議員を経て、35年に45歳で衆議院議員に当選し、当選2回、憲政本党に所属した。
37年の総選挙で落選した後、満州で開墾事業を行うが、38年8月25日に大連にて49歳で逝去した。





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