剃金の真光寺墓地(中の台)の一角に「真忠組潰滅の地」及び「矢野重吾郎終焉の地」がある。
鶴牧藩の『御用留』には、
<同日(文久4年正月17日)、長柄郡一ノ宮城主加納備中守軍兵五十人、茂原村砂(東)光寺浪士屯所へ討手として押し寄せたり。此の時、茂原の大将三浦帯刀は小関(九十九里町)旅館の異変を聞き、同勢を引き連れ、小関を差して発足せり。加納家の軍勢は、跡(後)より之を追ひ掛けて、剃金村にて追ひ付きたり。浪人共は、迚(とて)も敵する事能はず。大小刀を差し出して降伏(服)せり。此の時、浪人矢野十郎は、手向ひせしにより、討ち取られたり。三浦帯刀、千葉源次郎、大向泰助、大木八郎、大山重助の五人、生捕りになる。残党は迯走(とうそう)せり。此の生捕り五人の者は、(正月)二十六日に一ノ宮加納家の人数にて警衛して、関東御取締馬場俊蔵、東金町旅館へ引き渡しになる。>
とあり、楠音次郎を中心に貧民救済と攘夷を主張し、世直しに発展し、小関新田(九十九里町)の大村旅館を本拠に置いた真忠組は福島藩・一宮藩・多古藩・佐倉藩の藩兵1500人により制圧された。
この剃金中の台では、本部がある小関を援助するために茂原の藻原寺東光院に拠った三浦帯刀の率いる茂原隊は、ここで関東取締出役の指令を受けた一宮藩兵150名の討伐隊に包囲され、三浦ほか5名が生け捕りとなった。矢野重吉は、最後まで抵抗し、討死した。
1月26日に一宮藩に捕らえられた5人は、一宮藩兵に警固され、東金に置くられ、3月29日に田間村(東金市)辻堂で処刑され、その後、小関新田で晒し首となった。
<獄門>
・三浦帯刀(49歳)・・・旗本津田英次郎(佐原村地頭)の元家来。
・小高泰助(36歳)・・・下総佐原村の道具屋。
・千葉源次郎(46歳)・・・下総八日市場村商人。
・大木八郎(26歳)・・・上総蕪木村、無宿
<死罪>
・大山重助(30歳)・・・下総倉橋村酒職人。
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