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長柄町

2013年3月13日 (水)

長柄町の文化財めぐり(8)上野の「将門塚」・「将門館跡」

Photo_4上野に「将門塚」・「将門館跡」があるということを知り、現地に行けばどうにかなるだろうと、詳しく調べもせずに上野の集落に飛んだ。

Photo_5まず、集落の中心部にある鍵法山妙典寺(日蓮宗)へ。昨年2月に副住職さんが中山法華寺の「百日大荒行」を成し遂げたといい、その様子が『千葉日報』で見たことがある。

早速、寺院の方に聞いてみると、「聞いてはいるが、具体的にどこにあるかは知らない」という。近くの方々にも聞いてみたが、「聞いたことがない」、「そういう話は知っているが、どこかは分からない」という。

困り果てて、公民館に行き、担当の方に尋ねることにした。丁度留守で、職員の方に連絡を取って頂いたが、「『町史』以上のことは分からない」とのこと。そこで、『町史』をお借りし、関係部分をコピーして頂いた。

<この長柄町の東北部上野にはこの将門の館址があったという。それは平将門が相馬へうつる前にしばらく居たという伝説で、広瀬渉の著述である『平将門論』に記している。今日ではその伝承を知る人は現地にはほとんどいないようである。>

この上野の「将門塚」・「将門館跡」について知っている方は教えてください!

2013年3月12日 (火)

長柄町の文化財めぐり(7)白幡神社

Photo山之郷の道路沿いにあり、鳥居をくぐると長い参道を進む。山林の中を抜けるようになっており、何か心が洗われる感じがする。

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この神社は、天正元年(1573)に創建されたという。

Photo_3社殿の向拝には「龍の彫刻」があり、銘文に「彫工房州長狭郡下打墨住、嶋村久八郎由勝作」と刻まれ、「波の伊八」で名高い武志伊八郎の一門と推測されている。

製作年代は、文化年間(1804~18)の作であるという。

2013年3月 2日 (土)

長柄町の文化財めぐり(6)特別編「千葉市少年自然の家」

Photo_10長柄町の文化財めぐりを行っていたとき、たまたま「千葉市少年自然の家」と書かれた看板を見て、何となく懐かしくなり、入ってみた。

Photo_11この施設は、私が千葉市教育委員会指導課にいたとき(平成4年~7年)に、建設の話が持ち上がり、主幹とともにその建設委員会に携わっていたこと(担当課は青少年課)があった。千葉市の中学生の施設は、群馬県に「高原千葉村」があり、小学生版として考えられた。そして、建設の図面(案)が出来上がり、土地買収について、長柄町と交渉をし、同意を得たところまでは知っていた。

Photo_12この自然の家は、平成17年4月にオープンしたといい、何と具体的な話が持ち上がってからオープンまで10年以上になるわけである。

群馬県の「高原千葉村」は何度の生徒を引率して行ったことがあるが、この長柄町の施設を見て、びっくりした。というのも、高原千葉村の施設よりも雲泥の差があり、実に素晴らしい。

この施設には千葉市の小学5年生の全員が利用するという。実に恵まれている。

Photo_13事務所に入ると、昨年度まで校長を務められていた、知り合いがおり、施設を案内して頂いた。ログハウス群、学習センター棟、リフレッシュセンター棟、宿泊棟、憩いのホール棟など、

実に行き届いた施設で、これほどの施設は、他の都道府県・市町村にはないものと思い、何となく誇らしげに胸を張って施設を後にした。

2013年3月 1日 (金)

長柄町の文化財めぐり(5)安然(あんねん)塚

Photo_7長柄小学校の前に土留めの階段がある。右側が急な崖で、下が道路である。

余りにも急な登りの階段であるため、出来るだけ左側に寄り、ゆっくりと登る。子供たちは容易に、一気に登るというが、右側の崖を見ると、足が止まる。

Photo_8この一角が塚であるといい、塚上には「八幡さま」という祠がある。

この一帯の塚を「安然(あんねん)塚」といい、僧安然の墓であると伝えられている。安然は、天台密教(台教)の大成者で、日本における悉曇(梵語)学の礎を築いた。

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承和8年(841)に生まれたといい、没年・入寂ともに不明である。

この八幡さまがある「安然塚」が僧安然の墓であるというが、その確証はないが、長柄小学校の地にあった「道脇寺」の開基である。

また、この塚は、平将門が上総人見山(君津市)から逃れて来て、この辺りが戦場となったという伝承もある。

2013年2月28日 (木)

長柄町の文化財めぐり(4)眼蔵寺(Ⅱ)上杉朝宗の墓

Photo_5眼蔵寺の本堂の右側(駐車場)に上総守護で、関東管領でもあった「上杉朝宗の墓」がある。

朝宗は、南北朝から室町時代前期にかけての武将、守護大名で、上杉憲藤の子として生まれた。

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正平20年/貞治4年(1365)から天授2年/永和2年(1376)まで上総守護を務め、応永2年(1395)3月に関東管領・武蔵守護に任じられた。

同12年(1405)9月に関東管領を辞任し、同16年(1409)に満兼の死を契機に剃髪して禅助と称し、上総に隠退し、家督も子の氏憲に譲った。

同21年(1414)8月25日に亡くなった(81歳)。法号は「徳泉寺道元禅助」である。

2013年2月27日 (水)

長柄町の文化財めぐり(3)眼蔵寺(Ⅰ)

Photo長柄山にある眼蔵寺は、長和2年(1013)に沙門戒乗の開基で、「鳴滝寺」と称していた。

Photo_2建久3年(1192)に源頼朝は胎蔵界曼荼羅を奉納したことにより、「胎蔵寺」に改名したが、江戸時代中期に現在名の「眼蔵寺」に改めたという。

Photo_3もとは律宗の寺院であったが、正応2年(1289)に象外禅鑑(妙覚禅師)によって中興され、臨済宗に改宗し、往時は七堂伽藍を配した上総屈指の名刹であったという。

Photo_4本堂は最近再建されたようであるが、境内にある鐘楼は古く、梵鐘には「弘長4年(1264)」の銘があり、県内でも最古の古鐘の一つで、国の指定文化財になっている。

2013年2月21日 (木)

長柄町の文化財めぐり(2)飯尾寺

Photo山根にあり、山号を威王山という顕本法華宗の寺院である。

Photo_2正和3年(1314)に創建されたといい、もともとは鎌倉時代から室町時代にかけて、この地方を領していた飯尾氏が建立した仏堂に始まるともいわれ、南北朝時代の僧で、法華宗妙満寺派の祖、日什が開山であったと伝えられている。

Photo_3江戸時代には「飯尾氏の不動様」として九十九里沿岸の漁民の信仰を集めていた。

本堂前の狛犬は、寛文10年(1670)に造られたもので、県下では最古のものの一つであるという。両足を直立させ、胸を張った姿は可愛らしい。

Photo_4本堂前の石灯篭は、明暦2年(1656)作で、仏前に供える灯明台として造立され、平安時代にこの寺院に移されたという。

本堂内の欄間には「波の伊八」の文化11年(1814)作の「雄龍、雌龍」の彫刻が飾られている。

Photo_5龍は仏法守護の八部衆の一つで、特に不動明王を本尊とする寺院の境内などにはその造形が建てられているという。

2013年2月20日 (水)

長柄町の文化財めぐり(1)長柄横穴群

Photo_5一宮川による複雑な谷津は、狭い丘陵地を造り、この丘陵地の斜面には数多くの横穴墳が存在している。

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この横穴群は、古墳時代から平安時代にかけて、崖や山腹などを側面から掘って造った墓室のことで、県内には3135基あるといい、そのうち長柄町には25群324基が確認されている。

Photo_7上総の横穴群は、「高壇式」と称される玄室が一段高くなる形態で、玄室内部は家形、ドーム形、縦アーチ形などがある。

多くの横穴墓の羨道や玄室内部には、白色漆喰(しっくい)が塗られており、特に第13号墓には人物・鳥・建物など、線刻画が確認されている。

出土遺物には須恵器・土師器・鉄製品などがある。

Photo_8第1支群と第2支群の間の谷津には「資料館」もあり、出土品などが展示されている。

Photo_9資料館は、平素は閉まっているが、私一人のために、わざわざ職員の方が公民館から来られ、鍵を開けていただいた。感謝!

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