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白井市

2013年8月30日 (金)

白井市の史跡めぐり(24)沢山の泉(弁財天)

Photo_4谷田字沢山は住宅地造成中に一角に残された古道を進み、谷津に入ったところにある。

Photo_5古書には「地目は池で、広さは383坪、2ヶ所から湧き水がながれている」とある。

Photo_6また、『印旛郡誌』には、日本武尊を祀る草薙神社があったといい、この泉は、日本武尊のみたらしの清水とされ、かっては流れ出る川に架かっていた三つの橋のどれもが、身を清める場所になっていたという。

現在も谷津の地に湧水が見られ、その奥に2基に石宮が建っている。

正面に「奉納大弁財天講悉蛇成就」

右側面に「下総国印西谷田□村中」

左側面に「享保十年(1725)十月吉日」

と刻まれている。

Photo_7もう1基の正面には「蛇神様」と刻まれている。

Photo_8大開発の影に隠れた谷津に、ひっそりと眠っていた。

2013年8月29日 (木)

白井市の史跡めぐり(23)谷田(やた)の西福寺

Photo谷田弁天とも称される天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来である。

本堂は延享4年(1747)1月に焼失し、再建された。

Photo_2境内にある大きなイチョウは、「乳房公孫樹」ともいわれ、木の一部を煎じて飲むと乳がよく出ると信仰されている。

Photo_3この公孫樹について、むかし、伝教大師(最澄)が桓武天皇の命を受けて全国行脚の折、この地に立ち寄り、杖を境内に挿していかれ、これがいつしか芽を出し、大公孫樹になったという。

一昔までは、近郷近在から乳飲み子を抱える母親の参詣で賑わっていた。

2013年8月25日 (日)

白井市の史跡めぐり(22)平塚の弁天社

Photo_29松戸市営白井聖地公園の入口の前(平塚字宮の下)にあり、地元では「弁天様」と称されている。

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ある記録によると、

・大堤谷津の先端に位置する。

・覆い堂  140×125×150(cm)

・弁天様石碑 60×36×80(cm)

・境内地   120㎡

と記されている。

Photo_31池の中に小島があり、その小島に弁天様が祀られている。

こうした弁天様が白井市や印西市に実に多い。

2013年8月24日 (土)

白井市の史跡めぐり(21)平塚の鳥見神社

Photo_26白井市には鳥見神社が多いが、今回取り上げるのは平塚の神社。分校の入口脇にあり、饒連日(にぎはやひ)命を祭神としているが、由緒は不詳である。

Photo_271間四方の本殿には彫刻や絵画が施されている。

境内には数多くの末社がある。大杉神社(石宮)、スサノウ命を祭神とする八坂神社、木花開邪姫命を祭神とする子安神社、歯苦山神社(石宮)、大山祗命を祭神とする山神、妙正大神、倉稲魂命を祭神とする稲荷神社、神武天皇を祭神とする神武神社、金山彦命を祭神とする金比羅神社である。

Photo_28本殿の裏には俗称「天の岩戸」があるが、小さな石は見られるが、奇妙なものである。

2013年8月23日 (金)

白井市の史跡めぐり(20)平塚の延命寺

Photo_22平塚の延命寺は、山号・院号を普登(ふとう)山蓮華院といい、地蔵菩薩を本尊とする真言宗豊山派の寺院である。

Photo_23寛弘2年(1005)に賢澄上人の開基で、平塚村の菩提寺であった。元和6年(1620)に類焼し、寛文8年(1668)に再建されたという。

Photo_24境内にある観音堂は、方形で、柱間が3間の入母屋造り、禅宗様式の古建築で、棟札の写しなどから、寛文8年(1668)に建てられたと推定されている。

Photo_25荒れていた境内や本堂などを24世稲葉俊彰、25世稲葉正三が再建、整備し、立派な寺院となっている。

現住の正三氏は、長く「テレホン法話」を行い、それをまとめた『こころの小道』を出版されている。読んでいると、心が落ち着く気分になる。

2013年8月14日 (水)

白井市の史跡めぐり(19)滝田家住宅

Photo_15滝田家住宅は、間口9間、奥行5間の間取りで、寄棟造り、茅葺き屋根である。昭和44年(1969)6月に国の重要文化財に指定されている。

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滝田家には天和元年(1681)に亡くなった初代の位牌があり、建物の建築手法とあわせて見るち、17世紀後半の建物であると推定されている。

Photo_17滝田家は、県内で唯一、今も居住を続けている国重要文化財の古民家である。

2013年8月13日 (火)

白井市の史跡めぐり(18)今井の水塚(みづか)

Photo_13今井地区は利根川(手賀沼)の氾濫に悩まされ、土を盛り上げて納屋や土蔵を建て、水が出るとそこが浮島になり、家財道具や米などを守った。

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これを「水塚」といい、現在も12基が残存し、うち7基が市指定文化財になっている。

2013年8月12日 (月)

白井市の史跡めぐり(17)東光院

Photo_10名内にある慈眼山東光院観音寺という真言宗の寺院で、通称「東光院」という。

本尊は聖観音菩薩像で、本堂に安置されている地蔵菩薩立像は市の文化財に指定されている。
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この地蔵菩薩は、像内に「元亀二年(1571)」に佐津間村(鎌ヶ谷市佐妻)の真如坊という仏師によって製作されたという墨書銘があり、市内では最古の在銘彫刻である。

Photo_12明治24年(1891)4月24日の名内集落の大火の際に焼失を免れたという伝説があり、「火伏せの地蔵様」とも称されている。

2013年8月11日 (日)

白井市の史跡めぐり(16)折立の来迎寺

Photo_7無量山最勝院といい、承久年間(1219~21)に創建されたという天台宗の寺院である。

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本尊は鎌倉期の木造阿弥陀如来立像であるが、本堂にはこの外、不動明王立像、毘沙門天立像、閻魔王坐像、脱衣婆坐像があり、いずれも市の文化財に指定されている。

Photo_9本堂は元禄14年5月に延焼し、宝永7年に再建された。

境内には火伏せの霊樹とされる公孫樹の巨木がある。

2013年8月10日 (土)

白井市の史跡めぐり(15)富塚の鳥見神社

Photo字南に鎮座し、もともとは川上英太郎祖先の氏神であったといい、これを一村の鎮守とするようになったという。

享保19年(1734)、寛政9年(1787)、文化9年(1812)などの棟札があるが、創建年代は不詳である。

祭神は鐃速日命・倉稲魂命・市杵島姫命・小名彦命で、境内は507坪である。

明治41年11月に字宮ノ前の聖天社・駒形神社、字荒久尻の稲荷神社、字上の厳島神社、字中下の厳島神社、字追堀の厳島神社、字子ノ神の子ノ神社を合祀した。

Photo_2参道を進むと左手に村内にあったものをここに移した17基の庚申塔があり、その一つに「切られ庚申」がある。富塚は銚子から日本橋へ鮮魚を運ぶ途中に位置し、ある晩、鮮魚師が銚子からあ輸送中、一つの日の玉に襲われ、暗闇に一刀を振り下ろしたところ、この石塔を切りつけ、今にその刃跡が残ったものであるという。

Photo_3この庚申塔の奥に「歓喜天(聖天様)」がある。明和8年(1771)の石塔で、象の形をした双身像で、男天と女天が抱擁しているもので、夫婦和合・子授け・福徳の神である。

Photo_4この先に本殿があり、周囲には素晴らしい彫刻が施されている。

この神社の神楽は県の文化財に指定されている。江戸時代の末期に当地に住む川上右仲が浦部から伝習し、始めたものであるという。「にしきてんこ(二匹天孤)」他、すべてを演じるには一晩中かかるといわれている。

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