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富浦町

2014年7月 5日 (土)

富浦町の史跡散策(5)興禅寺

Photo_6山号を海恵山といい、貞和元年(1345)に無窓国師を開山として創建したという。

Photo_7足利氏が寺領を与え、小弓公方足利義明の息女智光院(青岳尼)の菩提所にしたという。

境内には延宝3年(1675)の百年忌供養塔があり、この年は荒廃している当寺を円覚寺から来た拙翁硯珍が再興し、孫弟子の無外硯珍のときに本堂を再建したという。

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本堂前には「青岳尼供養塔」があり、「智光院殿洪嶽梵大姉」、「天正四年(1576)三月二十一日」と刻まれている。

2014年7月 4日 (金)

富浦町の史跡散策(4)日蓮袈裟掛けの松

Photo富浦町の豊岡に、日蓮が布教のため、鎌倉に向かうときに立ち寄った所があるといい、その地を訪ねた。

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その場所は、法華崎遊歩道の南無谷海岸近くにあり、近くで地元の方に聞くと、「昨日も関西に方から訪ねて来た人もいましたが、その松は枯れて存在せず、また、その松があった所も、途中が崖崩れとなり、入っていけませんよ」とのこと。

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それでも、紹介された通りに、その地に向かう。途中に案内の表示があり、それに従って進むが、すぐに崖崩れで、入って行くことができず。諦め。

帰りがけに、先に説明された方に会うと、「前々から市の方にお願いしてあるのですが、なかなか・・・・」と。

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資料によると、松の根本には、明治31年(1898)に豊岡村が建立した石碑があり、中央にお題目と「日蓮聖人袈裟掛松」、右に「米(よね)ヶ浜へ渡海の旧跡」、左に「建長五年(1253)五月中旬」と刻まれているという。

2014年7月 3日 (木)

富浦町の史跡散策(3)法華崎遊歩道

Photo_10富岡海岸から南無谷海岸にかけては岩礁地帯で、青さが際立っている。

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雄大な太平洋を望みながら散策できる遊歩道がある。

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眺めは素晴らしく、大房岬や南無谷海岸が見渡せる。目の前には、雀島も見られ、雄大な景観を眺めながら海辺を楽しむことが出来た。

2014年7月 2日 (水)

富浦町の史跡散策(2)岡本城址

Photo_5国道127号のトンネルの前に旧道があり、崖を登るような急坂を行く。一応、「里見公園」になっているものの、手すりがなく、かなり注意して登らなければならない。

Photo_6この城の築城年代は不明であるが、元亀元年(1570)に里見義弘が領主の岡本安泰から譲り受け、これを改築し、子の義頼を置いたという。

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天正6年(1578)に義弘が没すると、安房を基盤とする義頼と、上総を基盤とする義弘の晩年の子、梅王丸との間で家督争いが起こり、同8年(1580)に義頼は、梅王丸の居城の佐貫城を落とし、梅王丸を捕らえ、出家させた、

その後、義頼の子、義康の代となり、同18年(1590)に豊臣秀吉に小田原征伐後、里見氏は上総の所領を失い、安房一国を安堵され、居城は館山城へと移された。

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現在、「里見公園」になっているが、石碑が建っているが、随分、荒れている。ただ、ここから見る東京湾の眺めは素晴らしい。




登り下り、階段に手すりがないため、非常に危険である。特に、雨が降った翌日には足元がすべり、崖から落ちる危険性がある。

2014年7月 1日 (火)

富浦町の史跡散策(1)七面山

Photo222段の階段を登ったところに「七面堂」がある。

むかしは「浅間山」と称され、雨乞いの祈祷所であったという。

Photo_2元禄12年(1699)に七面堂が建てられ、高さ50cmの木造七面大天女坐像が祀られ、「七面山」と呼ばれるようになった。

Photo_3一気に階段を登り、頂上へ。「七面堂」があり、ここから見られる東京湾は美しい。

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ここからさらに奥に行くと、鋸南町名物の「びわ」を運ぶロープウエイがあった。

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