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歴史研究

2018年1月30日 (火)

<郷土史7>武田信玄の四女・真理姫物語(6)

母の真理姫とともに黒沢(木曽町)に隠れ住んだ末子義通が、玉滝村の旧臣末原彦右衛門に送った『書状』(松原家文書)には、

<おのおの心さしのほどを感じ入り候、まことにいかほど義昌目にかけられ候者共多く候へども、その恩の忘れ、かへって敵を求め候に、いづれも奇篤(きとく)或る心づか、悦喜いたし候、義昌一人に相離れ候へば、一門かくの躰に罷り成り候事、口惜しき次第に候、あまつさへ、兄の仙三郎殿さへかくの躰に御なり候、我等事も幼少にて義昌におくれ、母一人の頼みこれある事に候。祖先相伝わる本国にいたるまで相離れ、此の身上に罷り成り候事、我等に於てひとしお無念に候、ぜひ一たびはほんにいたし候事あんのうちたるべく候(以下略)>

とあり、義昌死後、一門の没落を嘆き、兄の改易を悲しみ、幼少の身を以て唯一人母を頼む心もとなさを訴え、是非旧領の木曽を恢復したいと思い、貴下の斡旋によって谷中一身となって尽力されたいと切々と訴えている。

 なお、義通(義一)については、『岐蘇古今沿革志』に、

<末子仙十郎君行衛(いくえ)相知れず、三尾小島(おじま)の義(よし)右衛門にても此れあり哉。>

とあり、『木曽旧記録』にも、

<三尾村に小島之義右衛門にても可有之哉(中略)木曽家之末孫也と代々申し伝に而己、乍去、裏之廟所に先祖也と云伝へし五輪壱躰有之、又夫より一丁程も隔たる処に五輪有之(以下略)>

と記され、母真理姫の死後、三尾村(木曽町三岳三尾)の小島義右衛門(旧木曽家家臣)の庇護を受け、ここで一生を過ごしたという。小島にある五輪塔は、この真理姫の息子、義通の墓であるといわれている。<終わり>

2018年1月28日 (日)

<郷土史6>武田信玄の四女・真理姫物語(5)

真理姫は、隠棲しながらも、木曽谷の土豪たちと連絡を取り、木曽家再興を念願していたが、それを果たすことなく、正保4年(1647)7月10日に98年という長く、苦難な人生を終えた。

墓は、旭市網戸の東漸寺(義昌公菩提寺)と木曽町三岳野口の上村家敷地内にある。また、慶長6年(1601)に旧山村家の敷地跡に木曽代官山村良勝が開基、良勝に従い阿知戸からこの地に来た柱山(ちゅうざん)和尚が開山となり創建された大通寺(木曽町福島)には真理姫の供養塔が建てられている。

・真理姫法名 真龍院殿仁栄宗真大姉

2018年1月25日 (木)

<郷土史5>武田信玄の四女・真理姫物語(4)

文禄4年(1595)3月17日に義昌は家臣や住民に惜しまれながら、阿知戸城で亡くなった。56歳であった。

すでに跡を継いでいた義利は、天正18年(1590)に木曽福島からここ阿知戸の地への転封は「左遷」であると強く主張し、家康への不満を募らせていたという。

さらに、粗暴なる振る舞いが多く、叔父の上松義豊を殺害したことで、大名の家中の騒動と判断され、慶長元年(1596)に「領地没収」の上。改易となった。

義利は勿論、木曽家一族・家臣たちは阿知戸から退去し、四散した(慶長5年説あり)。

真理姫のその後について、『岐蘇(きそ)古今沿革志』に、

<末子(義通)一人召し連れ、黒沢(木曽町三岳)へ引き籠られ、上村に居住あり。>

とあり、真理姫は末子義通を連れて三岳村(三岳野口)の上村作右衛門宅に身を寄せたという。

この上村家は、天正10年の鳥居峠の戦い(木曽義昌と武田晴信との戦い)のときに木曽義昌に付いて戦い、戦功を残し、馬場家・千村家・荻原家などとともに「木曽10人衆」と称されてという(『岐蘇古今沿革志』)。<続く>

2018年1月24日 (水)

<郷土史4>武田信玄の四女・真理姫物語(3)

木曽義昌が織田信長に付いたことを武田勝頼に内通したのは真理姫であるといい、同時に上村作左衛門に出した『木曽谷中旧家系譜録』(塩尻市牛丸四方造家文書)には、

<一、同村(木曽黒沢村)之内上村作左衛門と云有、義徳公(木曽氏)に奉仕、戦功度々有之、義徳公、御簾中(ごれんじゅう、正室)右方江御預ヶ置く。>

とあり、このため、天正10年8月に真理姫は義昌と離別し、末子(義通)とともに木曽黒沢村(木曽町三岳黒沢)の作左衛門に預けたという。しかし、『木曽福島町史』の「義通」の項には、

<兄義利改易の後、母義昌の未亡人(信玄の女)は末子一人を伴って密かに木曽に帰り、黒沢村の上村宅に隠棲していた。>

とあり、また、綱戸(旭市)では真理姫は婦人病に霊験があるとされている淡島神社や十一面観音を勧請して人心の安定を図ったといわれることから、阿知戸の義昌のもとで暮らし、義昌が病死した後、あるいは木曽家が改易になった年に木曽の地に帰ったというのが正しいようである。

さて、天正5年(1577)に義昌(36歳)と真理姫(26歳)の間に次男義利(幼名岩松丸、仙三郎)が誕生した。さらに、2人の間には2男3女に恵まれた。

・義春=長次郎、天正12年(1584)から豊臣家に奉仕し、大坂両年の役ともに籠城し、元和元年(1615)に討死した。

・義通=義一、興惣次、母真理姫とともに木曽に行き、代官の上村宅で隠遁生活を送った。

・女=毛利伊勢守髙政室

・女=福島左衛門大夫某室

・女=蜂須賀阿波守家政室

2018年1月21日 (日)

<郷土史3>武田信玄の四女・真理姫物語(2)

同年(弘治元年)11月に木曽義康・義昌父子は、甲府に出向き、晴信と盟約を結ぶとともに、義昌の妹・岩姫を人質として甲府に差し出し、白木八郎左衛門を付属させた。

これにより、木曽谷は、武田家の支配圏となり、美濃や飛騨への侵攻における最前線基地となった。

元亀元年(1570)に義昌と真理姫の間に初めての子供(千太郎)が生まれた。真理姫が木曽家に嫁いでから15年目のことであり、すでに義昌30歳、真理姫20歳になったいた。子の千太郎は、のちに武田家に義昌の母とともに人質として差し出され、新府(山梨県韮崎市中田町、勝頼の時代の城下町)で生活するが、父の義昌が天正9年(1581)に織田方の遠山友忠の誘いを受け、武田氏を裏切り、信長と盟約を結ぶが、このことに怒った勝頼は、翌10年(1582)3月に千太郎(13歳)を始め、義昌の母(70歳)、義昌の妹岩姫(17歳)を処刑した。韮崎市の光明寺の『開基木曽千太郎公縁起』(石碑記載文章)には、

<義昌公は武田家が風雲を告げる頃になるや、離反を企て織田・徳川連合軍と手を結んだ。勝頼公これを知るや、怒り心頭に徹し、天正10年3月朔日、人質を役邸(上野豊後守宅)からほど近い、おどり原に引き立て、家臣土屋惣蔵の介錯により御生害させた。>

と記されている。(続く)

2018年1月20日 (土)

<郷土史2>武田信玄の四女・真理姫物語(1)

天文19年(1550)に真理姫は、武田信玄の四女として生まれた。生母については、正室三条夫人、または測室油川夫人の説がある。信玄には6人の娘がおり、

・長女=北条氏政に嫁いだ黄梅院(おうばいいん)

・次女=穴川梅雪に嫁いだ見性院(けんしょういん)

・三女=梅田童女(早世)

・四女=真理姫

・五女=上杉景勝に嫁いだ菊姫

・六女=織田信長の嫡男信忠と婚約したが、手切れとなった松姫

である。生母については、黄梅院と見性院は三条夫人、他の真理姫・菊姫・松姫は油川夫人の可能性が高い。

弘治元年(1555)に晴信(のちの信玄)は、信濃と美濃・飛騨の国境付近を治めている木曽義康を配下にするため、8月に木曽福島城を攻め、その日のうちに義康を降伏させた。その経過について、江戸時代初期の『甲陽軍艦』に、

<八月二十一日に鳥居峠を越し、薮原に御馬を立てられ、同二十二日に甘利左衛門尉にて御先を仰せられ(中略)、木曽殿、其日に降参あり。我が所領を悉く上げ、甲府につめて御奉公申すべきと申され、分に付き信玄公、仰せらるるに、小笠原長時に逢ひ、木曽申し分一段よいとて、持つ来る所領、相違なく下され、木曽殿家、高なれば、信玄公、御婿(むこ)になされ、御息女の真理姫に千村備前・山村新左衛門両人を木曽に指し置く。>

とあり、信玄は、木曽家が格の高い家柄であることから、娘の真理姫を義昌の正室として差し出して武田の親族衆にしたという。<続>

2018年1月19日 (金)

<郷土史1>旭市の「朝日将軍」木曽義昌の子孫が大分に!

天正18年(1590)に下総国阿知戸(旭市網戸)一万石に入封した木曽義昌は、新田開発・用水路の設置・城下町づくり・税の減免などの徳政を行い、その後、嫡子義利に引き継がれた。

しかし、この義利は、短気で、我が儘に育ったといい、叔父の義豊を殺害したことが原因で、慶長5年(1600)に改易となった。その後の義利は、行方不明になったというが、流浪して長崎県壱岐島を経由して平戸の地に至り、「井元」に姓(弥七左衛門)を改め、当時の平戸藩主松浦氏より大島村の政務役に任じられたということが解った。そして、その子孫が大分市に住んでいるという。

このことが、史実かどうかを文献により調べている。その略系図は次の通りである。

義利(井元祖、弥七左衛門、大島政務役)-義陽(弥兵衛、大島政務役)ー義信(弥七左衛門、大島政務役、鯨組を興す)-義定(弥七郎)ー定治(甚太郎、順養子、弥七左衛門)-定則(虎之丞、義定の嫡子、弥七左衛門)-定正(傳十郎、義定の弟、順養子)ー義睦(長太郎)-義愷(傳十郎)-義庫(傳十郎)

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