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旅行・地域

2011年1月21日 (金)

多古町史跡巡り(3)正覚寺

Photo 島2320番地にあり、日蓮宗不受不施派の寺院である。この派は、江戸時代に禁止され、僧侶・信者が発見されると島流しなどの刑を受けた。

Photo_2 このため、信者は、他人に見つからないように隠れて信仰し、「隠れ日蓮」、「内証題目」ともいわれている。

Photo_3 この寺院の僧侶は、現在でも肉食妻帯はしない。本堂の裏側には歴代住職の墓碑が並んでいる。

2011年1月15日 (土)

多古町史跡巡り(2)東禅寺の千葉胤直供養塔

Photo 多古町寺作に土橋山東禅寺がある(真言宗)。

Photo_2 この辺り一帯が土橋城址で、康正元年(1455)3月に原胤房、馬加康胤は千葉介胤直の居城、千葉城に押し寄せ、胤直、子の胤宣、円城寺尚任らは千田荘(多古町)に逃れた。これにより、千葉城は大治元年(1126)から330年余で落城した。

Photo_3 8月に原胤房は、千葉胤直らがいる志摩城を攻めた。胤直は城の東端から脱出し、「土橋」の如来堂に退き、別当東覚院(東禅寺)に立てこもり、ここで自刃したという。

東禅寺の墓地には7基の千葉氏供養塔があり、一番大きいのが胤直のものであるという。

2011年1月13日 (木)

多古町史跡巡り(1)日本寺

Photo 多古町南中にある正東山日本寺(日蓮宗)は、鎌倉時代後期の元応元年(1319)に中山法華経寺開祖の富木(とき)日常上人を開祖とし、日祐上人が改宗したのが始まりといいます。

Photo_2 慶長4年(1599)に飯高檀林4世日円上人が当寺の15世となり、上人の学徳を慕う僧が続々と集まり、僧侶の教育養成学校「中村檀林」が創設された。その規模は、東西の谷に学房が36棟、付属の建物が約80棟あり、常時400~500名の学僧が学んでいたといいます。

Photo_3 明治8年に檀林は廃止されたが、270余年に約10万人の僧侶が学んだ。この当時の面影を伝えるものは次のものです。

・承応2年(1653)建築の経蔵

・元禄10年(1697)建築の妙見社

・享和3年(1803)建築の鐘楼

・山門

なお、現在の本堂は、明治21年(1888)に再建されたものです。

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