村田町の東方、字野際に鎮座し、祭神は、天照皇太神・大日要貴命(おおひるめむちのみこと)・豊受皇太神・月夜見命である。
創建については、3つの説がある。
その一つは、日本武尊が東征のとき、現在の市原市八幡の飯香岡八幡宮でご飯を頂き、「東日光神簱然たり」という場所に該当するというものである。
二つ目は、源頼朝が飯香岡八幡宮に立ち寄ったとき、葭篠が茂る藪の篠を刈り取り、弓矢を作らせ、その藪を「篠岬」と命名したもので、村田の篠崎姓はこれによるという。また、岸辺を歩きながら東の方を見ると、立ててあった青龍の旗が勢威を振起するかのようにはためいていたという。そこで治承4年(1180)9月9日、この地に神明神社を勧請したものであるという。
三つ目は、永禄年間(1558~70)に大暴風雨があり、高潮が村田川へ押し上がり、村内の家屋はすべて流失したが、神社だけが忽然として残ったという。村人がそのわけを神主に問うと、「神明なり」と答えたので、村社として勧請したものであるという。この説については、永正3年(1506)に泉福寺を創建した日眼は神明宮の社僧であったといわれていることから、永禄年間前に創建されていたことになる。
鳥居の右手に2基の道祖神があり、境内には、稲荷社、子安社、疱瘡神、水天神社、弁財天神社などがある。
昭和44年3月までは港町90番地の三叉路のところに「新川」と呼ばれる小さな川(溝)があり、ここに架けられていた石橋を「君待橋」と称していた。
55年にその跡地に「君待橋苑」が設けられ、その北方約200mの都川に新しい「君待橋」が造られた。
(1)長徳元年(992)、藤原実方(きねかた)が陸奥国へ下向の途中、ここを通り、里人に橋の名を問うと、「君待橋」と答えたので、実方は「寒川や袖師ヶ浦に立つ煙君を待つ橋身にぞ知らるる」と詠んだという(『千葉実録』)。
(2)治承4年(1180)、千葉常胤一族が源頼朝をこの橋のたもとに出迎えたとき、頼朝がこの橋の名を尋ねると、6男の東(とう)胤頼(たねより)が「見えかくれ八重の潮路を待つ橋や渡りもあえず帰る舟人」と答えた(『千葉実録』)。
(3)むかし、橋の近くに美しい乙女がいて、対岸の若者と恋を語り合っていた。ある日、大雨で橋が流され、呆然として対岸を眺めていると、若者が濁流を泳いで渡ろうとしたが、力尽きて水中に没した。これを見ていた乙女は、悲しみのあまり激流に身を投げて若者の後を追った。このことがあってから、里人は君待橋と呼ぶようになった(『日本伝説叢書』)
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