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四街道市

2008年6月 8日 (日)

四街道市域の村々の御成街道の道普請

昨日は、「四街道県庁会」の総会の講話の講師として招かれ、「徳川家康と東金御成街道」と題してお話をしました。

この会は、千葉県職員の中で四街道に住んでおられる方々の組織で、毎年6月第1週土曜日に「総会」を設定しているといいます。会員数は、400人を越えるようですが、年々、総会への参加者も減少しているといい、この日も50人には満ちていませんでした。

会の資料の中に、これまでの「講話の一覧表(昭和54年度から)」があり、それを見ますと、大学の先生・銀行の支店長・四街道市長・高校の先生・弁護士・画家・陶芸家などの名前があり、私などは「役不足」のようです。昨年、講師の依頼を受けましたが、勤めの関係でお断りしたところ、「今年は是非」ということで快くお引き受けした次第です。

講話の内容は私が得意とする「東金御成街道」の話(詳しくはhttp://homepage1.nifty.com./tougane-onarikaido/)ですので、それほど準備はいりませんが、ただ、地元の四街道市域も取り入れることに心掛けました。その中で、この御成街道の道普請の当たった四街道市域の村々は次の通りです。

・黒田(内黒田) 2町40間(320m)普請区域/実籾・長作

・物井  50間(100m)普請区域/犢橋

・亀崎  4町川(480m、川)普請区域/長沼原

・栗山・長岡 11町(1320m)普請区域/若松・小倉

・吉岡  2町(240m)普請区域/吉岡

・和良比  5町(600m)普請区域/吉岡・千城台

・鹿渡  3町(360m)普請区域/千城台・金親 

・山梨  3町橋2(360m、橋2)普請区域/金親

・中台  1町(120m)普請区域/金親

・宇那木(小名木)  1町(120m)

2007年4月 2日 (月)

家康お手掛けの桜を株分けした福星寺のしだれ桜

桜の花見が最盛期の今日、四街道市吉岡にある福星寺の桜見物に出掛けました。

国道51号(成田街道)の吉岡十字路を右折し、県道浜野・四街道・長沼線を行きますと、四街道市吉岡に入り、寺入口のバス停を左手に入ったところ(字下夕山)に真言宗の福星寺があります。山門の左右に3mほどの土塁があり、中世の館跡(福星寺館)としての面影を残しています。その広さは、東西・南北ともに約120mで、郭内が東西約55m、南北約45mであり、土塁の外側には空堀も見られます。

江戸時代初期に書かれた『千学集抄』には、天文19年(1550)11月23日に行われた妙見宮(千葉神社)の遷宮のとき、大檀那千葉介親胤(ちかたね)の参詣に従ったものに、馬場又四郎胤平・原大蔵丞胤安・原式部太夫胤清・原九郎左衛門胤行・牛尾左京亮胤道らの名があり、

<一.臼井の一門、志津の御門、坂戸、吉岡、小船木、粟(栗)山、申(中)台、山梨、蕨(和良比)の家風中、押田、渡辺、神保、何れも太刀上げ申す也。>

とあり、四街道市域の家臣名が見られ、この館は在地領主吉岡氏一族が築いたものと思われます。

天正18年(1590)7月に小田原北条氏が豊臣秀吉に降伏したことによって、千葉氏も北条氏と運命を共にしました。この時に福星寺館も、その役割を終えたようです。

寺院としての福星寺について、『印旛郡誌』に、

<不動院如来山と号す。本尊は釈迦如来にて、新義真言宗豊山派に属し、金光院(千葉市若葉区金親町)の末寺なり。元和二年(1616)四月、権僧都宥照、創めて開きものなりと云ふ。>

とあり、さらに同寺の昭和48年(1973)8月の『改築記念碑』には、

<元禄二年(1689)十二月、土豪・堀内甚右衛門が居館を提供して本寺金親村愛染山金光院の上席末寺となった。>

と刻まれています。この福星寺は、金光院住持の隠居寺でもあったようです。

本堂前には、樹高14m、目通幹囲3.3m、推定樹齢360年の「しだれ桜」があります。この桜は、親寺である金光院の本堂前に植えらていたものを株分けしたものであるといわれています。

金光院のしだれ桜は、家康が東金辺での鷹狩りの途中、この金光院に立ち寄り、花は咲いていませんでしたが、殊の外、珍しい桜であると讃えられ、この桜の木に手を掛けられたことから「東照宮(家康)お手掛けの桜」といわれました。このことから、縁起をかついで福星寺の創建を記念して本堂前に株分けした桜を植えられたとの伝承があります。

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