幕張1丁目の「堂の山(大須賀山)」に「大日堂跡」があります。
かっては独立した伽藍があり、かなり大きな本堂があったといいますが、今は何にありません(以前は朽ちた仮屋がありましたが)。
古老によると、ある年に大暴風で本堂が倒れたため、材木を集めて、仮屋を建てたといいます。
本堂にあった如来像について、『千葉市史・現代編』には、
<等身大より少し大きく、漆塗の坐像(像高1.13m)、玉眼を入れ、金銅透彫りの宝冠を載き、胸に金剛界大日の定印である智挙印を結ぶ。眉目秀麗、体格堂々として、気品があり、正気を失わない。快運の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。>
とあり、この像は、現在、宝憧寺に移されています。
この一角に「かぜひき地蔵」があります。この地蔵様にお祈りすると、風邪が治るとの言い伝えがあります。地蔵の形から大日堂の住職の像であるという人もいます。
幕張町の旧道沿いにある「金比羅神社」について、大正5年の『幕張町誌』に、
<天明8年2月15日、青柳村市川氏与兵衛の家内より遷し、同年9月23日、遷宮奉り、以後、御利益を現わし、隣村他郷より参詣人、群集なし。>
とあります。
<古来よりの言い伝えによれば、幕張の海は、馬加(現在の幕張町1丁目より5丁目と習志野市屋敷町を含む)・武石・鷺沼の浜稼ぎ場としてきた。とりわけ漁民に信仰心が厚く、幕張町2丁目の金比羅神社と並んで武石の真蔵院の寺内に波切不動尊が鎮座し、海で働く漁師らに最も崇拝され、加護を求める参拝者が後を絶たなかったといわれ、今日まで近隣漁師の海上安全を祈り、参詣、参拝していたことが明らかになっている。>
と記されています。
細い参道を行き、鳥居をくぐると、台地上の本殿に行く、階段に参道があります。訪れる人が少ないようで、鳥居も参道もかなり傷んでいます。階段を登りきると御神塔2基がありますが、この付近は立ち入り禁止です。
この正面には社殿があったようで、敷石(礎石)が見られます。ここから海上が見渡せたということですが、今は人家、その先には「幕張メッセ」のビルが建ち並び、海は遠い彼方にあり、海を見ることが出来ません。
幕張公民館に所用があったので、電車で京成幕張駅で降り、近くの「甘藷試作地」を訪ねました。
江戸時代、江戸日本橋の魚問屋の子であった青木昆陽は、南町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)に認められ、8代将軍吉宗に仕えました。享保の大飢饉の翌年、江戸小石川の薬園で栽培した甘藷の中から17個をこの幕張の「大縄地(おおなわち。与力に与えられる土地。現在は「夜縄(よなわ)」)に試作し、2石7斗6升を収穫し、これ以後、幕府は関東各地の農民に作り方を教えて普及させたといいます。
現在、この試作地には、大正8年5月に有志が建立した「青木昆陽甘藷試作地」の記念碑があります。
ちなみに、この試作地の前には、新しくなった秋葉神社と昆陽神社が建てられています。
「開かずの踏切」を解消するための地下道路の建設に伴い、新築なった昆陽神社を訪ねました。真新しい祠。隣にも真新しい秋葉神社が鎮座し、右手には庚申塔などの石仏がきちんと並べられています。以前の方が趣きがありましたが・・・・・。
この神社の祭神は、江戸中期の著名な蘭学者の青木昆陽です。江戸日本橋の魚問屋に生まれた昆陽は、南町奉行の大岡越前守忠相(ただすけ)に認められ、8代将軍吉宗に仕えました。
享保の大飢饉(1733~34)の翌年、江戸小石川の薬園で栽培した甘藷(かんしょ)の中から17個をこの神社の前の「字大縄地(おおなわち)」(与力に与えられる土地の名称で、現在は「夜縄(よなわ)」という)に試作し、2石7斗6升を収穫し、以後、幕府は関東各地の農民に作り方を教え、普及しました。
中でも、千葉の両総台地は、甘藷の栽培に適し、その生産はめざましく、天明・天保の大飢饉にも、このお陰で餓死する人がいなかったといわれます。また、天保年間に検見川ではこれを原料として飴が作られ、千葉寺村五田保の花澤紋十は、澱粉を作って江戸に行って売り、江戸向けの重要な特産品となりました。
弘化3年(1845)12月に同業の人たちが昆陽の徳を偲んで、甘藷試作の地を前面に眺める秋葉神社の境内に昆陽神社を建てました。
東金御成街道の千葉市と習志野市との境を南下し、京葉道路の武石インターを過ぎますと、右手にJA幕張支店があります。この先を左折すると、左手一帯が「字権現越」となり、右手の共同墓地を通過すると、左手に民家があります。
この裏手に三峯神社があり、境内の右手に権現神社の石祠(高さ55cm、幅21cm、奥行16cm)があります。この石祠には、
<正 面>権現神社
<右側面>大正十四甲丑年(1925)十月吉日
<左側面>川村武右衛門
と刻まれており、地元では「権現様」といわれ、もとは共同墓地の北側の畑の中にあったが、付近が宅地化されたため、現在地に移されました。
この石祠があった字権現越は、もと字北根という小字でしたが、家康が東金に行く時、この付近を通過したことから、この小字になったといわれています。
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