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市原市・大多喜町

2007年4月 6日 (金)

北大宮台歴史を知る会の養老渓谷方面巡検

今日は「北大宮台歴史を知る会」の「春の巡検(養老渓谷方面)」でした。貸切バスで朝8時30分に北大宮台を出発し、一路、養老渓谷へ。千葉市「おゆみ野」・市原市「ちはら台」を通り、「茂原街道」から「うぐいすライン」を経て「高滝湖」を抜け、養老渓谷へ。奥養老バンガロー入口でバスを降り、トンネルを抜けて共栄橋へ。

ここから「観音橋」までの「中瀬遊歩道」を歩きました。その距離は約3kmで、約1.7km行った所に「弘文洞跡」がありました。約140年前に耕地開拓のため、蕪来川を「川廻し」(蛇行する川は自然に三日月湖を造りますが、それを人為的に行い、湖の部分を耕地にする方法)して造られた隧道跡で、弘文天皇(大友皇子)と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の近くを流れることから、この名が付けられました。昭和54年5月に天井部分が崩壊し、川の両側が断崖になっています。私が初めてこの地を訪れたのが昭和46年で、遊歩道も十分に整備されておらず、この隧道を上流の方に抜けたという記憶があります。

弘文洞跡から1km程行くと、朱塗りの「観音橋」脇に出ました。あっけなくこの遊歩道を歩き終え、養老川に架かる2連の太鼓橋(観音橋)を渡り、出世観音へ。長い階段を登り、本堂前に出ました。この観音は、源頼朝が石橋山の戦いで敗れ、房州に逃れ、ここで持参した観音像に戦勝祈願したといい、のちに天下を平定した後、この観音像を「再起の守護神・出世観音」としてここに安置したといわれています。

この観音堂をお参りしたのが10時30分頃。昼食時間まで時間があり過ぎたため、予定にはない戸面集落を抜けて養老温泉郷に至る山道の戸面フラワーラインのハイキング。

庭木が整備された大きな家がある戸面集落。ほとんど車が通らず、気ままに30分程歩き、昼食場所の旅館「喜代元」へ。ここで特製の煮物の竹の子付きトロロご飯を食べました。竹の子は、まだ出始め。大多喜といえば竹の子ということで、事前に旅館に無理を言い、付けてもらったものです。やわらかく、実においしいものでした。

昼食に満足し、再びバスに乗り、「水月寺」へ。この寺院は禅宗で、イワツツジが見事に咲ほころび、我々を歓迎してくれているようです。実に手入れが行き届き、気持ちよくお参りしました。

この寺院がら「幻の滝」を見て、「滝めぐり遊歩道」をゆっくり歩きながら粟又の滝(養老の滝)へ。約3kmの行程で、豊かな自然に囲まれた渓谷をマイナスイオンに癒されながら、ゆっくりと歩きました。この遊歩道は何回か歩いていますが、こんなにペースが遅いのは初めて。「万代の滝」、「千代の滝」などを見て、粟又の滝へ。昭和46年に仲間と来た時に、ある人がこの滝を登り、途中で滑り、滝壺に落ちたという思い出があります。この滝は、落差30mほどの傾斜した岩盤をおよそ100mにわたって清流が流れ落ちています。記念写真を撮った後、滝見苑で30分くらいのお茶タイム。

滝見苑から来た道をバスで引き返し、市原の草刈「房の駅」で買い物ツアー。女の方々は実に多くの物を買い入れています。これも一つの楽しみ? 我は外でタバコをプカプカするのみ。

5時少し前に北大宮台に到着。皆さん、事故なく、満足気で自宅に向かっていました。

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