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大網白里町

2012年5月10日 (木)

大網白里町史跡めぐり(10)元禄津波の碑

Photo大網白里町北今泉に「元禄津波の碑」があります。

Photo_2元禄16年(1703)11月23日の関東地方南部を襲った大地震の際、房総半島沿岸には4~8mの大津波が襲いました。特に九十九里沿岸地方に大きな被害をもたらしました。

Photo_3この碑は、そのときの犠牲者63人の供養のため、正徳5年(1715)11月23日に北今泉村の人々によって建てられた十三回忌の供養塔です。

碑面には、

妙法 海辺流水六十三人精霊

奉唱題目壱千部 願主北今泉村

正徳五年十一月二十三日

と刻まれています。

2012年1月23日 (月)

大網白里町史跡めぐり(9)蓮連寺

Photo大網小学校の近くに蓮連寺がある。

山号を宝珠山といい、天文13年(1544)に創建されたという。天正19年(1591)には徳川家康から寺領10石を賜っている。

Photo_2山門を入り、本堂に向かうが、途中で社務所と本堂を結ぶ廊下をくぐると、右側に三浦監物(けんもつ)重成の供養塔がある。この重成の出目や経歴については不明な点が多い。

Photo_3三浦重成は、家康の関東入国後の天正19年(1591)、佐倉城に本拠を置き、1万石の譜代大名で、大網白里町の大部分を支配を支配していた。

蓮連寺に建つ供養塔は高さ3.63mで、「前三浦監物重勝 真浄院殿日勝大居士 寛永八年八月二十五日]と刻まれている。

供養塔の重勝は、重成の実子であるが、いつ父の遺領を継いだのかは分からない。しかし、寛永元年(1624)12月に従位下に叙したとあり、それ以前に重成の跡を継いだようである。

寛永4年(1627)に幕府から邪宗として禁止されていた日蓮宗不受不施派の布教を続けていた日耀が迫害を受け、慶長2年(1597)に日経上人が建立した方墳寺を焼き払ったのは、この重勝であったようである。

<系図>

三浦重成(監物・作十郎)ー(養子)重次(作十郎・山城守)、(実子)重勝(右馬助)、(二男)重政(平十郎・内膳)

2011年9月11日 (日)

大網白里町史跡めぐり(8)経塚(きょうづか)

Photo_5Photo_7


永田の山王神社の前に「経塚」(町指定文化財)がある。

山王神社は、永正年間(1504~20)の創建といい、祭神は大山咋命である。

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経塚については、真言宗であった永田の光昌寺は長享2年(1488)に酒井定隆の改宗令により、日蓮宗に改宗させられた。その際、不本意に改宗させられた一門は、涙ながらに経典や法具、仏器類をことごとく境内の一隅に埋めたと伝えられている。

この経典などを埋めた地がこの経塚であるという。

2011年9月10日 (土)

大網白里町史跡めぐり(7)方墳寺

Photo_5南横川に「方墳寺」がある。

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この寺は、もとは「お塚山」にあったが、寛永4年(1627)に打ち壊され、その後、現在地に建立されたという。

2011年9月 9日 (金)

大網白里町史跡めぐり(6)お塚山

Photo大網5748の高橋氏の私有地に「お塚山」がある。

Photo_2


樹木に覆われた中に石碑が建つが、周辺部には土塁が巡り、中世の城郭のようである。

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このお塚山は、方墳寺の跡をいわれ、慶長2年(1597)に日経上人が法華宗の布教のために建立したといわれている。

2011年8月31日 (水)

大網白里史跡めぐり(4)女ケ池(おがいけ)

Photo_8萱野の熊野神社前の細い道(林道萱野線)を進むと、標高60m程の丘陵に女ケ池がある。

昔から灌漑用水として利用されてきたという。

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台地上に上る、車1台しか進めない細い道を行くと、右手に長方形の池が現れ、何となく不気味な景観であった。

2011年8月30日 (火)

大網白里史跡めぐり(3)乙女滝

Photo_5熊野神社の脇から山路を上ると、水の音が聞こえてくる。

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ゆっくりと先に進むと、女ケ池から流れ落ちる滝が見られる。

Photo_7通称「乙女滝」といわれている。何か美しい乙女が現れるようなところにある滝であるが、由緒については不明である。

2011年8月29日 (月)

大網白里史跡めぐり(2)萱野熊野神社

Photo_3熊野神社周辺には谷津田が広がり、隠やかな景観をつくり出している。

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その一角に朱色の鳥居があり、70数段の石段を登ると境内の右側に目通り約4mの大杉(神木)がある。

周辺部の景観は実に見応えがある。

2011年8月28日 (日)

大網白里史跡めぐり(1)萱野正法寺

Photo嘉吉3年(1443)に禅僧の明臾(めいゆ)の開基と伝えられ、長享2年(1488)に酒井氏の改宗令により、日蓮宗になったという。

Photo_2


銅製の鰐口は、町指定文化財で、享禄2年(1529)に鋳造されたという。この鰐口は、もともと本納の幡大明神(川戸神社)のものであるといわれるが、どのように本寺に伝わったのかは不明である。

2011年6月24日 (金)

細草檀林の遠霑寺(おんでんじ)

Photo 大網白里町下ヶ傍示に法雲山遠霑寺があります。

Photo_2 この寺院の前身は、寛永19年(1642)に日隆門流及び日興門流などの勝劣派僧侶の学問所の「細草檀林」として設立されたものであるという。

Photo_3 この檀林は、現在の白里中学校・白里高等学校の敷地にあったといい、明治初期まで230年余り機能していた。

昭和42年(1967)9月に日蓮正宗大石寺第66世法主日達上人が現在地に遠霑寺を建立し、日蓮正宗の寺院として復活させたという。

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