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千葉市緑区

2010年5月 1日 (土)

おゆみ野の城の台遺跡

Photo おゆみ野の城の遺跡を見てきました。

Photo_3  ここには何度も行っていますが、桜の咲いている時期で、桜見物を兼ね、一回りしました。

この遺跡は、中世城址で、下総と上総の国境にあり、上総方(里見氏)から攻め上る兵をここで待ち受けたといいます。

生実の小弓城の出城であるともいわれています。

2009年11月 2日 (月)

千葉・東山科町を訪ねて(その5)やましな地区集会所

Photo_3 金力比羅神社の境内には、平成9年(1997)9月に建てられた、立派な「やましな地区集会所」があります。

町内の人たちが積み立てた資金と千葉市からの「補助金」により完成したといいます。

2009年11月 1日 (日)

千葉・東山科町を訪ねて(その4)稲荷神社

Photo 東山科町の鎮守・金力比羅(ことひら)神社の境内、右側に「稲荷神社」が祀られています。

石鳥居は平成14年(2002)11月に氏子一同が建立したもので、小祠の前の石碑には、

Photo_2 <右側>奉納 大工 豊田実 東山科町

<左側>台石 昭和三十九年(1964)十月 貫井金一 東山科町

と刻まれています。

2009年10月31日 (土)

千葉・東山科町を訪ねて(その3)山林の中にたたずむ「弁財天」

Photo_7 道路沿いにある馬頭観音を通り過ぎると、間もなく左手に入る細い道があります。この道を200mほど進むと、右手の奥に赤い鳥居が見えます。

Photo_8 砂利道の参道を進むと、山林の中に平成14年11月に氏子一同が建てた石鳥居があり、その奥に小祠(高さ128cm)があります。この祠は、昭和49年1月9日に東山科町の北崎かねが奉納しました。

Photo_9 この祠の裏側には池があり、弁財天に相応しい造りになっており、感心しました。

2009年10月30日 (金)

千葉・東山科町を訪ねて(その2)道路沿いの「馬頭観音」

Photo_5 大宮団地南側から平山町に至る道路を行き、東山科町に入ると、間もなく左側に「馬頭観音」の石碑(高さ41cm、幅31cm、奥行6.5cm)があります。

(正面)馬頭観音

(裏面)昭和五十八年五月吉日建立

と刻まれています。

Photo_6 この馬頭観音のある左手一帯が東山科町に なります。

2009年10月29日 (木)

千葉・東山科町を訪ねて(その1)

Photo 旧東金街道沿い、千葉市立大宮中学校の先に「緑区東山科町」があります。この地は、江戸時代、千葉郡平山村・坂尾村・長峯村の入会秣場で、「中峠野(なかぴょうの)」と称されていました。

明治9年(1876)8月に明治新政府は、京都の「山科郷士」の人たちにこれまで宮中警固などの功績によりこの中峠野の地、31町6反2畝26歩を賜与し、比留田権藤太ら20名が入植し、開墾したところです。その守護神が金力比羅神社です。

彼らの事績を追いながら、この東山科の地を隈無く歩くことにしました。

2009年9月26日 (土)

土気城址巡り(その1)本寿寺

Photo_3 土気城址の西南方(裏鬼門)にあり、梅と桜の名所です。

この寺院は、長享2年(1488)、酒井定隆が土気城に移ったとき、浜野町の本行寺の開祖・日泰上人を招き、「如意宝珠山本寿寺」を建立し、「東上総七里法華」の根本道場にしました。

Photo_4 山門から本堂までの桜並木は、酒井氏が植樹したものといい、境内には日泰上人と酒井定隆以下の供養塔が並んでいます。

2009年7月 1日 (水)

土気城址を訪ねて

Photo 土気城址は、神亀元年(724)に蝦夷の侵入に備えて、この地に唐城あるいは貴船城を築いたのが始まりといい、鎌倉時代に土気太郎が地頭として居住したといわれています。

Photo_2 戦国時代には畠山重康の支配下となったが、長享2年(1488)には中野城の酒井定隆が入城した。

その後、天正18年に定隆は豊臣秀吉の小田原北条氏攻めに北条方として小田原城の守備に出向いた。その最中、この土気城は秀吉の家臣浅野長政に攻められ、落城し、廃城になったといいます。

城址は日航の研修センターでしたが、現在、閉鎖中で、中に入ることが出来ません。

千葉市は、文化財保護のため、土地を購入し、公園として開放すべきであると思います。

2009年5月 8日 (金)

誉田町(野田)の五日堂を訪ねて

Photo 大網街道の誉田中学校の入口に「五日堂」があります。

この辺りは、不受不施派と同時に江戸幕府から弾圧の対象とされていた日蓮宗日経門流の信者がいました。寛永11年(1634)に日経の弟子の蓮照院如閑日浄は、野田村中宿(誉田町1丁目)に本覚寺を創建し、布教をしていたことから、翌年、5人の僧侶と共に捕らえられ、この地で処刑された。

Photo_2 五日堂は、本覚寺の跡地で、斬首された日浄を、信徒たちが密かに処刑場(如閑塚)から持ち出し、ここに供養したといいます。

その後、高田村(緑区高田町)の源右衛門は役人の目を憚って杉苗の近くの土中に五輪塔を建てたといいます。

明治9年に新政府は不受不施派を教団として公認したので、信者たちが浄財を集め、同13年に小さな清舎を建立し、日浄などの命日にちなみ、「五日堂」と名付けました。

2009年4月 9日 (木)

今が満開、千葉市内のさくら(2)

Photo_5 Photo おゆみ野公民館からの帰りがけに「おゆみ野さくら公園」に立ち寄りました。ここには住民たちや子供たちが見物に訪れており、桜の木の下で弁当を広げている集団もいました。

広い公園に多くの桜の木を植えられ、今が満開です。

Photo_3 桜の下で桜見物をする人たち、歩道からこの桜を携帯電話やカメラで写真を撮る人たち、遠くからじっと眺めている人、通りがけに立ち止まる人など、様々ですが、それにしても咲き誇った桜は実に見応え

があります。

カメラで全体を写すことが出来ないのが残念です。

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