Magameつれづれ<第15号>全徳川家の想いが結集する一大展覧会「大徳川展」を観覧
11月2日(金)に上野の東京国立博物館平成館で開催している「大徳川展」を観覧して来た。平日にもかかわらず、JR上野駅を降りると人出が多く、さすが東京である。上野公園ではさらに多くの人が行ったり来たりしている。
この「大徳川展」の観覧は、当初、3日(土)を予定していたが、友達に土・日曜日や祭日は人を見に行くようなものといわれ、2日の午後6時から友達と一緒に行くことにしたが、たまたま私の都合で、今日の午前中に一人で行くことになったのである。
この展覧会は、徳川将軍家、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家を始め、久能山・日光・尾張・紀州・水戸などの東照宮に伝えられてきた門外不出の品々や美術、歴史資料として貴重な宝物300余点が展示され、「この『大』にめぐりあうことは二度とないでしょう」というものである。
展覧会の会場である平成館2階には、まず、家康が征夷大将軍に任じられた慶長8年(1603)から260年間続いた江戸時代の「将軍の威光」の品々が展示されている。中でも家康が愛用した品々、家康を神格化した東照宮御影は圧巻であった。家康所用の歯朶(しだ)具足・金扇馬印・南蛮胴具足・金陀美具足、吉宗所用の紺糸威鎧、慶喜所用の卯花威胴丸と続き、太刀のいろいろ。やはり将軍、絶対権力者の権威、権力の凄さがよく分かった。
家康の遺品の中で、私が興味を持ったのが「金唐陣羽織」で、『図録』の解説によると、牛皮の表面を金泥塗にしたもので、裾(すそ)には植物性繊維らしき白い総(ふさ)飾りを付ける洒落た意匠をこらし、身頃や襟には曲線断ちが認められるなど、南蛮服飾が顕著であるという。
また、家康所用の日の丸入りの「軍扇」は、家康が関ヶ原の戦いで軍勢の指揮に用いた道具であるというが、表が「金地」で、どう見ても戦いには不向きであると思うが、それは権力がなく、経済力のない者からの発想か?
展示の途中で、芝東照宮御神体の「家康坐像」を見る。『図録』の解説には、慶長6年(1601)正月、60歳を迎えた家康が自ら命じて彫刻させた等身大の寿像で、家康が生前、駿府城で自らこの像の祭儀を行っていた。そして、元和2年(1616)、死に臨んだ家康は、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と増上寺の僧侶にいい、同寺に本像を祀るように遺言したという。この「家康坐像」は、初公開ということであり、一見に値いする。
この他、「格式の美」では、天下一とも称される大名物の肩衡茶入れ「初花」・「新田」や王朝絵巻の至宝「源氏物語絵巻」などの名品が並び、「姫君のみやび」では千代姫(尾張家2代光友夫人)所用の「婚礼調度品」など、華麗で、絢爛たる品々が並び、何か別天地に来たみたいな感じになった。
約2時間にわたり、じっくりと観覧したが、我々庶民からはかけ離れた品々が並ぶ展覧会であるが、逆にこの時代にこのような品々を使用して日々を送っていた人がいたのだということに驚きさえあった。
帰り掛けに300ページ余りの、ずっしりと重い『図録』(3000円)を購入し、会場を後にした。


最近のコメント