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習志野市

2008年2月15日 (金)

鷺沼城趾公園を訪ねて

習志野市役所の裏手にある「鷺沼城趾公園」を訪ねました。細い道を入り、駐車場を探しましたが見つからず。仕方なく、アパートの脇に駐車させてもらいました。

この公園は、鷺沼の豪族、鷺沼源太光則(満義)の居城址で、石橋山の戦いで敗れた源頼朝が安房に逃れ、千葉常胤に守られながら北上し、この鷺沼城で宿泊したといわれています。

公園を入ると、「鷺沼源太満義諸武士之碑」があり、

<今を去る六百年前正応年間、伏見天皇時代、市川城主里見氏及び源太氏を始め下総十有城主一団となり、北条氏康と戦い、遂に利あらずして戦死す。然るに未だ其の霊魂の冥福を祈る事あたわず。依って、吾等相謀り慰霊碑を建て、之を祭る昭和三十四年3月責任者伊藤藤兵ヱ>

と刻まれています。

公園は、古墳群でもあり、中央付近には発掘調査で発見された竪穴式石室が見ることが出来ます。この古墳は7世紀中頃のものということです。この裏には円墳も見られます。

人家が押し寄せる中での公園。習志野市は、よくこの地を買い取り、城趾公園にしたものだ、と感心しました。

2007年7月23日 (月)

徳川家康が休憩した子安神社(習志野市藤咲)

慶長19年(1614)1月に徳川家康は、東金辺での鷹狩りにため、船橋御殿で休憩した後、東金に向かいました。

船橋を出たところに集落(藤崎村)があり、この集落にある子安神社で休みました。この神社は、治承4年(1180)4月の創建で、祭神は速須佐之男命(はやすさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしなだのひめのみこと)であり、大正15年(1926)の『千葉郡誌』には、

<古木鬱蒼(うっそう)として昼なお暗く、袖ヶ浦の眺め、又、一しほなり。>

とあり、高台にある境内には樹木が生い茂り、ここからの眺めは素晴らしかったといいます。

この神社で休憩した家康は、境内に見事に咲いている藤の花を眺め、この集落を「藤咲」と名付けたといわれています。(拙書『調査研究房総の東照宮』暁印書館より)

2007年7月 5日 (木)

徳川家康が休憩した地=実籾本郷の「字権現山」

東金御成街道の「長作」交差点を南に下り、すぐ右手の細い道を進みますと、右手に鴇田氏宅(重右衛門新宅)があります。この辺り一帯を「字権現山」といい、鴇田氏宅内の左手に蔵王権現の小祠があり、祭神が徳川家康であるといいます。

この小祠は、鴇田氏が分家したときに造営したといわれ、中に高さ約1mの石碑があり、

(正 面)蔵王権現

(右側面)文化三年(1806)

と刻まれています。

現在の鴇田氏の家屋付近は、かって塚状になっており、家康が東金に行く途中、ここで休憩したとの伝承があります。また、鴇田氏宅の右側に細い古道跡があり、この道を「御成街道」と呼ばれています。

この実籾本郷の人たちの中には、御成街道が造成された後、街道沿いに移転した家も多いといいます。

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