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野田市

2007年8月27日 (月)

野田・五木新田東照宮(神明大神社)

東武野田線の川間駅から線路沿いを左手に行くと、字西耕地となり、神明大神社があります。祭神が天照皇大神と東照宮であり、創建が延宝4年(1676)2月です。

五木新田は、享保11年(1726)に大沢茂兵衛が開墾に当たり、同15年(1730)に創設された村です。

明治・大正期の『県神社明細帳』(千葉県総務部)の神明大神社の項に、

一.由緒  享保十五年中、御検地の砌り、村内安全の為、御代官          小宮山杢ノ進殿、後藤庄左衛門殿より社地御見行勧請有之候事。

とあり、享保15年に代官の小宮山杢之進(昌世)が社殿を建立し、相殿に東照宮を奉祀したといいます。

この小宮山氏について、『寛政重修諸家譜』の昌世の項には、

<正徳元年(1711)三月十八日、はじめて文昭院殿(家宜)に拝謁し、享保六年(1721)閏七月二十五日、遺跡を継ぎ、二十七日、御代官となり、十七年(1732)八月二十四日、支配所牧場の普請を配下の一人にまかせしにより、不正のはからひをなし、金子を貧るにいたる。これ昌世が等閑なるがいたすところとなりとて、支配所を減じて出仕をとごめられ、十一月十七日、ゆるさる。>

とあり、杢之進(昌世)は享保6年閏7月27日からこの地の代官を勤めたといいます。

現在の社殿は、昭和24年(1949)に再建されたもので、境内には聖徳太子の石碑の他、明和7年(1770)9月建立の雷電宮、八幡宮、稲荷宮の石祠があります。

2007年7月 6日 (金)

徳川家康ゆかりの「権現桜」

県道松戸・野田線(流山街道)の「梅里駅入口」の交差点を過ぎると字大和田台となり、南部中学校入口の右手にある中村浦治氏宅付近を「権現塚」といわれています。

慶長5年(1600)6月に徳川家康は、豊臣氏への出仕を怠り、謀叛を企てている上杉景勝(謙信の養子)を討つという名目で会津に向かいました。途中、この山崎村で領主岡部長盛(弥次郎、内膳正)がこの中村氏宅付近に塚を築き、本陣を造って家康をお迎えしたといいます。

家康は、この山崎村の本陣で休憩した後、杖にしていた桜の枝を地中に指して行きましたが、のちにこれが根付き、見事な花が咲くようになったといわれています。

また、このことを耳にした近くの神光寺(廃寺)の住職は、この桜の木の根元に「御指木乃桜」と刻んだ石碑を建てました。

この桜の木の脇に「東照宮」の小祠があり、中にある石碑(高さ22cm、幅14cm、奥行8cm)には、

(正 面)大権現神

(右側面)昭和四十一年(1966)一月吉日

(左側面)中村浦治

と刻まれています。

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