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八日市場市

2007年7月14日 (土)

八日市場・飯倉東照宮を訪ねて

国道126号(東金街道)の「米高」交差点で国道と分かれ、県道45号を芝山方面に向かうと、右手(字西ノ内)に三社神社があります。祭神は、伊弉諾尊・事解男命(ことさかのおのみこと)・速玉男命(はやたまのおのみこと)で、平安時代、この地が南紀熊野神社領であったことから、熊野大社(和歌山県本宮町)から神輿を勧請し、飯倉郷18ヶ村の総鎮守にしたといわれています。

この三社神社について、昭和62年の『千葉県神社名鑑』(千葉県神社庁)に、

<境内神社 稲生大神・浅間大神・厳島大神・東照宮>

とあり、明治・大正時代の『千葉県神社明細帳』には、

  三社神社末社東照宮(字赤羽根一六一一番)

   一.祭神 徳川家康     一.由緒 不詳    一.社殿間数 石造方二尺   

   一.境内坪数 四十三坪  一.信徒人員 二十六人>

と記されています。

三社神社から先に進むと、「中貫」バス停留所があり、この先を左折し、しばらく行くと台地の縁に入る細い道があります。この一帯が字赤羽根で、細い道を左手に田んぼを見ながら進むと、突き出た台地があり、樹木や竹などが生い茂っています。この台地を通称「権現山」といい、竹藪などをかき分けてながら進むと、一番高い地点に東照宮の石祠(高さ53cm、幅25cm、奥行16cm)があり、

(正 面)東照宮(上部に横書き)

(右側面)天保十五年辰(1844)十二月日

(左側面)別当 来迎寺 仲貫作□

と刻まれており、字中貫(同市飯倉)の来迎寺(真言宗、明治初年に廃寺)の住職が建立したものです。

この飯倉村は、江戸初期、土井利勝の所領で、寛永12年(1635)に旗本池田長賢(帯刀)の支配となり、幕末まで池田氏の知行地でした。

2007年7月13日 (金)

八日市場東照宮と御鷹松

JR八日市場駅から直進し、国道126号(東金街道)を横切り、さらに進むと字扇田となり、左手に平成4年に新築された「八日市場東照宮」があります。

もとは手前のイ2435のところにあり、慶長19年(1614)正月に徳川家康が九十九里地方で鷹狩りをしていたとき、鷹が行方不明になったため、八日市場村の医王寺(万町、天台宗、廃寺)の僧侶が祈祷したところ、この鷹が境内の松に降りてとまったといいます(この松を「御鷹松」という)。

のちの寛永9年(1632)4月に当寺が真言宗から天台宗に改宗したとき、天海僧正がこの松のことを耳にし、同寺に、

<南無東照三所大権現 探題僧正天海>

の書状を与えました。そこで、当寺の僧侶は、この松の根元に小祠を建立し、天海僧正からの書状を掲げ、「東照大権現」と称したといわれます。

また、寛文9年(1669)3月の吉田村(八日市場市吉田)の稲垣重定の寄進状には、

<下総国八日市場村医王寺において安置奉る東照宮、よってここに御供田のため、寺内高三石の処、寄付奉るものなり>

とあり、医王寺(天保11年2月の火災で焼失)が管理していました。当時の東照宮の規模は、

  ・本殿  東西七尺  南北八尺

  ・覆殿  東西一丈五寸

でした。この東照大権現は、明治2年(1869)に東照宮に改名されました。

平成3年12月に市都市計画道路の拡張に協力し、この東照宮は、北方約50mのところに移転し、本殿の覆屋と社務所が新築され、同4年7月5日に社名を「八日市場東照宮」に改められました。

境内には、新たに「御鷹松」が植えられ、宝暦9年(1759)正月の常夜灯や寛政3年(1791)4月の庚申塔などがあります。

この東照宮は、県内で数少ない単独の東照宮で、唯一、全国東照宮連合会に加盟しています。

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