八日市場・飯倉東照宮を訪ねて
国道126号(東金街道)の「米高」交差点で国道と分かれ、県道45号を芝山方面に向かうと、右手(字西ノ内)に三社神社があります。祭神は、伊弉諾尊・事解男命(ことさかのおのみこと)・速玉男命(はやたまのおのみこと)で、平安時代、この地が南紀熊野神社領であったことから、熊野大社(和歌山県本宮町)から神輿を勧請し、飯倉郷18ヶ村の総鎮守にしたといわれています。
この三社神社について、昭和62年の『千葉県神社名鑑』(千葉県神社庁)に、
<境内神社 稲生大神・浅間大神・厳島大神・東照宮>
とあり、明治・大正時代の『千葉県神社明細帳』には、
三社神社末社東照宮(字赤羽根一六一一番)
一.祭神 徳川家康 一.由緒 不詳 一.社殿間数 石造方二尺
一.境内坪数 四十三坪 一.信徒人員 二十六人>
と記されています。
三社神社から先に進むと、「中貫」バス停留所があり、この先を左折し、しばらく行くと台地の縁に入る細い道があります。この一帯が字赤羽根で、細い道を左手に田んぼを見ながら進むと、突き出た台地があり、樹木や竹などが生い茂っています。この台地を通称「権現山」といい、竹藪などをかき分けてながら進むと、一番高い地点に東照宮の石祠(高さ53cm、幅25cm、奥行16cm)があり、
(正 面)東照宮(上部に横書き)
(右側面)天保十五年辰(1844)十二月日
(左側面)別当 来迎寺 仲貫作□
と刻まれており、字中貫(同市飯倉)の来迎寺(真言宗、明治初年に廃寺)の住職が建立したものです。
この飯倉村は、江戸初期、土井利勝の所領で、寛永12年(1635)に旗本池田長賢(帯刀)の支配となり、幕末まで池田氏の知行地でした。


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