成東東照宮(白幡、八幡神社境内)
御成新道(東金市田間から成東・小松まで。田間砂押県道)の白幡四ッ角の南側が字本郷であり、ここに八幡神社がある。
寛和元年(985)に大和国城下郡(奈良県磯城郡)の妙香上人が、この地を訪れ、阿弥陀如来像を奉納し、如来寺(のちに般若院)を創建した。そして、鎮守の神として山城国の岩清水八幡宮(京都府八幡市の男山に鎮座)より御神影を勧請し、寺院の隣地に八幡神社を建立したのが起こりであるという。岩清水八幡宮は、長久3年(1030)の平忠常の乱を鎮圧するために派遣された源頼信が、永承元年(1046)に八幡神を氏神として以来、源氏の武将たちの守護神になった。
この神社の祭神は、誉田別命、天照皇大神、天児屋根命で、地元の人たちは「白幡八幡」と称している。
治承4年(1180)に安房に逃れた源頼朝は、鎌倉に上る途中、この神社に参詣し、白旗と15本の矢を奉納して源氏の再興と武運長久を祈願したという。のちにすべての戦いに勝利した頼朝は、文治元年(1185)にこの神社に社殿と神宝を寄進し、建久7年(1196)には大願成就の大祭が盛大に行われたといわれている。
慶長19年(1614)正月に徳川家康は、九十九里方面で鷹狩りを行ったとき、この神社が源氏と関わりが深いことから、参拝に立ち寄ったといわれ、毎年、東金御殿山の根接ぎの竹を奉納することを約束したという伝承がある。
社殿は、元禄2年(1689)に全焼したとの記録があり、その後、再建された。現在の社殿は、昭和41年(1966)3月に建立された。
境内には天保9年(1838)の石鳥居、延宝2年(1674)・同9年(1681)の石灯籠、享保17年(1732)の手洗石、太鼓橋などがある。
明治・大正期の『千葉県神社明細帳』には、
一.境内神社 九社
東照宮 祭神 徳川家康公
由緒 不詳
建物 藁小宮
とある。本殿の裏に長さ6m、幅2mのコンクリートで囲まれた所があり、ここに7社の末社が祀られ、その右から2番目に竹で小宮を形造った「東照宮」がある。
なお、般若院の神官であったという斎藤家には、家康が八幡神社に参詣したとき、その接待に当たり、家康からお礼として頂いたという「茶碗」が保存されている。


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