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八千代市

2007年8月10日 (金)

八千代東照宮(吉橋・八幡神社)

県道船橋・印西線沿いの八千代市吉橋字八幡前にある八幡神社は、誉田別命・玉依姫命(たまよりひめのみこと)・息長帯姫命を祭神とし、吉橋城の武の神として創建されたという。

吉橋城は、香取城ともいわれ、字尾崎・花輪にあり、北に向かって突き出た標高22mの台地の先端部に位置していた。伝承によると、千葉氏一族の吉橋丹後守胤俊の居城であり、高木(城)伊勢守胤貞のときは吉橋・坪井・古和釜・楠ヶ山・大穴・金堀・麦丸の一部などの八千代市西南部から桑納川流域の船橋市域までを支配していたという。

天文5~6年(1536~7)には小田原北条氏に攻略されて落城し、城代家老の縫之助・次席の五郎右衛門、忠兵衛(湯浅氏)、三右衛門などの家臣たちが土着したといわれている。

樹木に囲まれた八幡神社の境内には、文化2年(1805)の天満宮、文政3年(1820)の大杉大明神、天保9年(1838)の天照大神宮、文久2年(1862)の聖徳太子、同3年(1863)の金比羅神社などの石祠があり、ほぼ中央部に昭和59年3月に再建された社殿がある。

明治・大正期の『千葉県神社明細帳』には、

  明治四十四年六月二十六日、同所字尾崎・無格社香取神社(経津主命)、同境内社石裂大神(大山祇命)、浅間神社(木花咲耶比売命)、足尾神社(於母陀琉命)、字花輪・無格社鷲宮神社(大日霊命)、同所字石神・無格社厳島神社(市杵嶋姫命)を合祀す。

一.境内神社

 東照宮  祭神 大日霊命(家康霊命の間違いか?)

        由緒 不詳

        建物 間口二尺奥行二尺

とあり、大正15年(1926)の『千葉郡誌』の八幡神社の項には、

<社殿は間口一間、奥行一間、拝殿あり。間口二間半、奥行五間にして、境内七百五十二坪あり。八坂神社、金比羅神社、石裂神社、東照宮、大杉神社を合祀す。>

と記されている。

現在は、境内に数多くの石碑(祠)が見られるが、東照宮の所在は不明である。

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