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木更津市

2013年3月23日 (土)

木更津市の太田山

Photo標高44mの木更津市の太田山。

神代には、浦賀水道に入水した弟橘姫を想いながら、日本武尊がこの山から海を見つめ、長くこの地に留まったとされ、のちにこの地は「君不去(きみさらず)」と名付けられ、木更津に変化したという。

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山頂には「きみさらずタワー」や「市郷土博物館金のすづ」の外、弟橘姫を祭神とする橘神社も鎮座している。

この山の桜も満開である。

2012年11月19日 (月)

木更津巡り(7)中ノ島大橋

Photo木更津港に浮かぶ中ノ島を中心に潮干狩りやフィッシングポイントとして楽しむことが出来る中ノ島公園は、木更津祭りの際には花火を打ち上げる場所にもなっている。

Photo_2対岸の鳥居崎海浜公園と中ノ島大橋で結ばれている。この中ノ島大橋は、全長236m、高さ27.125m、幅4.5mで、昭和50年(1975)に完成した。

Photo_3日本で一番高い歩道橋として知られる。

木更津港の玄関口に当たり、東京湾へ出入りする船舶は、この橋の下をくぐることになる。

Photo_4映画『木更津キャッツアイ日本シリーズ』で、「恋人と渡ると幸せになれる赤い橋」として有名になった。

流線型の美しい橋で、人だけが通ることが出来、橋の上からは手前に自衛隊の基地、対岸の京浜地区、そして遠くには富士山を望むことが出来る。

2012年5月28日 (月)

木更津巡り(6)高倉観音(高蔵寺)その2

Photo山門の案内板に「観音浄土界と地獄・極楽界めぐり」の案内があり、「今話題の新名所・・・他では見られない来世観光」との宣伝に乗って、「入場券」を購入する。

Photo_2「撮影禁止」のあるが、受付の方から許可を頂き、堂々と撮影開始。

Photo_3暗めの室内には「地獄界」、「観音浄土界」、

「極楽界」に分かれています。

Photo_4その一部をご覧ください。

2012年5月22日 (火)

木更津巡り(5)高倉観音(高蔵寺)その1

Photo木更津市矢那に平野山(へいやさん)高倉観音(高蔵寺)がある。

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当山は、用明天皇の代の白雉庚戌年(650)に藤原鎌足が創建したといわれている。

本尊は、天平年間に僧行基の作という正観世音菩薩で、脇侍は貞観年中に慈覚大師の作という不動明王である。

Photo_3堂内には坂東・秩父・西国の霊場の写し観音百体が安置され、回廊には縁結び地蔵尊もある。

現本堂は、大永6年(1526)に再建されたもので、正面が11間3尺、横が11間、高さが11間3尺で、16面取り柱数が88本で、全国的にも珍しい建造物であるという。

鐘楼堂は、江戸時代に再建されたものであるという。

2011年8月21日 (日)

木更津巡り(4)八剣八幡神社

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JR木更津駅の近くにある八剣八幡神社の一帯は、古くは「八剣の里」と呼び、この里の神を「八剣の神」と称した。



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源頼朝が鎌倉幕府を開いたとき、神領を寄進し、社殿を造営した。その後、慶長19年(1614)11月、大坂冬の陣が起こると、木更津村より家康方に24人の船頭が召し出され、向井忠勝・小浜光隆の軍の元で、目覚しい働きをした。これもこの神社の霊験加護の賜物であると、宮司らが駿府城に招かれ、銅鳥と金子を賜ったという。

また、江戸に「木更津河岸」と称する地を賜り、上総や安房への渡船営業許可を独占的に与えられたという。

2011年8月20日 (土)

木更津巡り(3)太田山ときみさらずタワー

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日本武尊が東国征伐の折、相模から上総に渡る際、東京湾が大荒れになった。妃の弟橘姫は、海神の怒りを鎮めるため、自ら荒海に身を投じて海を鎮めた。

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上総に上陸した日本武尊は、太田山から海を見つめ、

「君さらず袖しからみに立つ浪のその面影を見るぞ悲しき」

と詠み、しばしこの地を去ろうとはしなかったという。

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この伝説の地の太田山に、平成4年、市制50周年を記念して「きみさらずタワー」が建てられた。タワーの高さは28m、2本の神剣をイメージし、先端には日本武尊と弟橘姫が仲睦ましく見つめ合っている。

2011年8月18日 (木)

木更津巡り(2)光明寺

JR木更津駅に近くにある光明寺は、建武2年(1335)に日輪上人の開山とされる日蓮宗の寺院である。

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本堂を始め、安産・子育ての鬼子母神が祀られている七面堂、客殿、庫裏、鐘楼などを備えているが、何といっても歌舞伎『与話情浮名横櫛』で知られる「切られ与三郎」の墓があることで有名である。

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与三郎のモデルになったのは、山武郡増穂村(大網白里町)の紺屋の次男、中村大吉で、木更津の紺屋で働いていた職人である。

修行中の身でありながら、侠客源左衛門の愛妾のお富と出会い、好い中になった。2人が自宅で会っているところを見つけた源左衛門は、二人を庭先の松の木に縛りつけ、与三郎に小刀で全身30ケ所余りを切りつけ、木更津の海に投げ込んだという。

のちに長唄の太夫、4代目芳村伊三郎を襲名し、亡くなった後、木更津で修業していたということで、この光明寺に墓が建てられた。

2011年8月17日 (水)

木更津巡り(1)金鈴塚古墳

浜長須賀の住宅地に中に、後円部墳丘と石室が残っている。

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ほぼ7世紀頃に造られたと推定される前方後円墳で、もと二子塚古墳と称されていた。もとの大きさは全長約90m余り。

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南に開口した横穴式石室は、凝灰石を切石積みにして造られ、奥行きは約10m、内部の西壁近くに長さ約1,7mの箱形石棺が安置されていた。この石材は、埼玉県秩父地方から切り出されたものといわれ、当時、すでに荒川~東京湾を経る物資の交流の道が開かれていたことを想像させる。

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石室内からは、他に乾漆棺の破片と思われるものや、骨片も発見されていることから、少なくとも3人が埋葬されたと思われる。

また、石室からは、きらびやかな太刀・金銀細工・土器類・武具・馬具など、おびただしい品々が出土した。中でも5つの金鈴(直径9mm)の出土は、古墳名を改名させる特異なものである。

2007年9月 4日 (火)

木更津・長須賀東照宮(日枝神社境内)

国道16号を木更津市街に向かって進むと、「南長須賀」バス停の先が字南であり、西清小学校があります。その手前に大物主命、国常立命、瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祭神とする日枝神社があります。

この神社の由緒は不詳ですが、かっての社名が山王社で、明治元年(1868)に現在名に改められました。現在の社殿は、弘化4年(1847)に再建されたもので、内部には葛飾北斎が当地に滞在中、畳ヶ池(この神社の南方、字堰ノ上にあり)辺で描いたという「富士の巻狩」の扁額が掲げられています。

境内社について、明治・大正期の『千葉県神社明細帳』に、

  一.境内神社  七社

    東照神社  祭神  源家康公

            由緒  不詳

            建物  石祠

とあります。この東照神社は、境内の右側に三基の石祠が並び、その左手の石祠(高さ67cm、幅23cm、奥行16cm)で、

  (正 面) 東照宮

  (右側面) 嘉永己酉年(二年、1849)

  (左側面) 四月十七日

と刻まれています。

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